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合気道の世界 |
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- 大学入学当初から何故か合気道部の先輩方には3年間に渡って誘われていたのですが、合気道そのものも知らず学生時代には縁がなかったのが、就職して2年目の終わりに社内の合気道部の募集を知り見学に行ってその翌週から稽古を始めました。
- それから早10年以上経ちますが、稽古をする度に「力を入れたらダメだ」「力を抜けば相手を思うように動かすことができる」「力を抜かないと重たくならない」と言われ、逆ではないのか?と思いつつも実際にやってみると確かにそれが真実であるという不思議さに完全にハマり込んでおります。
- こればかりは自分の身体で試してみないことには絶対に理解してもらえないことだと思いますので、是非今度一緒に稽古をしましょう!
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税理士の休日 『不思議さこそが合気道の魅力』
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合気道の一番の魅力は不思議さです。稽古をはじめてから十年以上の歳月が経ちますが、今も稽古のたびに常に新しい発見が続いています。
合気道とは、腕力で相手をねじ伏せるのではなく、自然体で相手に立ち向かいます。単に力を抜いたのではフニャフニャになってしまうので、力を抜きつつ気持ちは張りつめ、肩や肘などの関節は自由に動く状態でなければなりません。言葉で表現しようとしてもこの有様ですので、これを体得するとなると更に難しいものです。
「相手の中心を捕らえよ」と言われても、その意味を理解して行えるようになるのは稽古の繰り返しが必要です。常に相手を感じられるように、素直で敏感な心の状態でいなければ、その中心を捕らえることはできません。うまく力が抜けて、相手の中心を捕らえられた時には、自分でも不思議なほど、あっけなく相手が飛んで行くので驚いてしまいます。その驚きを「至福の瞬間」などと言い替えれば、投げ飛ばされた相手には失礼な話でしょうが、実に爽快な気分になることは確かです。
もちろん、逆に自分が宙を舞って畳に叩き付けられた時には、「やられた!」と思うのですが、それでも投げられながらも、相手の技の見事さに感心している自分を発見することができます。
気を合わせるということは、相手の力を利用することでもあるようで、高段者になればなるほど、長時間の稽古にも関わらず全く疲れる様子が見えません。相手が剥きになって突進して行けば行くほど、高段者は軽々と見事なまでに相手を宙に舞わせてしまうのです。
「相手を動かしたければ力を使うな」という禅問答のような世界が合気道の面白さであり、奥の深さでもあると言えるかもしれません。だからこそ、畳の上で自分の身体で感じて覚えることにしか上達する方法は無いのでしょう。
稽古のあとの、ビール片手の反省会というのも合気道上達の一つかもしれません。思いきり汗をかいたあとのビールは、何ものにも代えられないというのは勿論ですが、老若男女、様々な国籍が入り交じっての合気道談義は興味深いものがあります。特に先輩方から貴重な話を伺うことができた時には、何かを会得したような気分になってしまいます。
こんな合気道の不思議さにご興味をお持ちになられましたならば、是非とも稽古にいらしてください。いつでも大歓迎いたします。
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株式会社ぎょうせい 月刊税理2005年1月号の「税理士の休日」に掲載させていただきましたコラムです。 |
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