横浜・大船 込江保次税理士事務所

総天然色旅行記
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Frente Pinguinista

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ/その1

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 1日目

 シカゴ・オハフ空港で、オーバブッキングをしたUA999便は、
 14人に現金US$300づつを支払ってメヒコへと向かった。
 大枚に一瞬目がくらんだが、それよりも早くメヒコに行きたい気持ちが
 勝ち、何とか飛行機に乗り込みまた空の人となったのである。
 ほぼ定刻の午後1時前にメヒコに到着。機内からは日航ホテルの
 秋オープンの大きな広告が目に入ってきた。

 「おぉぉ、ついに来たぞぉぉ!!」とひとり感激に浸ってる間にも、
 あっさりと入国審査は終わり、噂の税関の前に来ていた。
 申告書が必要なことはわかってはいたのだが、知らぬフリをして通過
 しようとしたがやはり止められてしまった。 ^^ゞ アタリマエダッ!
 スペイン語で何か言ってる。全然解らん。仕方無く周囲を見渡し、
 英語が出来そうな警備のおねぇちゃんに接近。大正解!!
 申告書の場所を聞くと、「あっち」との優しい方向指示。そそくさと
 歩み掴むだが、やっぱりスペイン語で書いてあった。\\(;^◇^;)//
 (後で知ったが、他に英語、フランス語版もあったのだ。)
 何も書けずにそのまま又税関に挑戦。流石に諦めたのか税関員が名前と
 他2、3の事項を何とか書かせてくれた。そして、「運命のボタン」。
 雰囲気は電車の踏切みたいだった。思わず渋谷のセンター街に、
 入口に踏切を置いてある居酒屋を思い出してしまった。 *^^*
 そんなことを考えながらボタンを押したら、あら、あっさりと「緑」が点灯!
 なぁ〜んだ。簡単ジャンって思ってたら、隣りの列では赤がついて、
 荷物を全開させられている美形のおねぇさまがいらした。あぁ、ヒトゴト。

 さて、これでホントにメヒコに到着。まず金を調達しなければ。
 両替商が腐るほど並んでる。街中まで出れば CITI BANK で下ろせばいいから、
 とりあえずUS$10も替えれば充分だと思い、何も考えずに一番近い
 店で両替。後から知ったが、やはり少し外れた店の方がレートがいいらしい。
 便利なところ程高いっていうのは、万国共通の商売の法則なのであった!!

 お次は、地下鉄の駅探し。でも、全然そんな気配はない。しょうがない、
 「i」を探そう。おぉ、あった、あった。聞けば、外に出てひたすら左の方に
 歩け歩けとのこと。そっか、そっか。折角だから地下鉄の路線図をもらった。
 これがあとでとっても役にたったのであった。(お勧めです!)
 で、歩く、歩く。ターミナルが無くなるがやはり駅の看板は見えない。
 不安になりそこらのにぃちゃんに「メトロ?」と聞く。これがはじめての
 スペイン語だけでのコミュニケーションであった。 ^^ゞ
 おにぃちゃんは、一生懸命話しているがまったく解らない。 ;_;
 それでもめげずに教えてくれようとしてくれる。あぁ、嬉しい!!
 結局、こういう時の常套手段で、紙とボールペンを出す。どうやらまだまだ
 先の方に駅があるようだ。「グラシャス!」と言ってまた歩き出す。
 人の流れに乗ったなぁと思ったところで、交差点近くに駅の入口を発見!
 階段を降りて、切符を買う列に並ぶ。たったN$0.40(=約¥12)。
 安いなぁとまたまた感激しながら、自動改札を抜けてホームへ。
 9号線で PANTITLAN まで行き、1号線に乗り換え PINO SUAREZ へ。さらに
 2号線に乗り換えて、ZOCALO で下車。所用時間1時間弱。ラッシュ時間では
 無かったので、それほど混雑してもいなくて、なかなか快適だった。
 
 さて、改札を抜けて地上へ出ると、そこはメヒコシティ(DF)のへそ。
 ソカロ。左手には超ドでかいメヒコの国旗が風に揺れており、右手には、
 カテドラルの歴史的な建物が。と見入っている場合ではなく、観光客は
 まず寝床を確保しなければならない。事前情報によると、この近くに格安の
 ホテルがあるとのことだったが、聞くまでもなくあっさりと発見できた。

   HOTEL LEON  Brazil 5, centro  TEL:512-9031

 フロントで泊まりたいと言うが、誰もスペイン語以外は話せない。参った!
 しかも、US$10/泊と聞いていたが「30」を連呼している。???
 そうこうしているうちに、フロントにいた女性が突然何かを探し始めた。
 しばらくして1枚の紙を見つけ、それを手渡してくれた。電話番号らしき
 ものが書いてあるなぁと思ったが、電話を指している。どうやらかけろと
 言っているらしい。 ^^ゞ  電話をかけて相手にスペイン語にも負けずに
 「もしもし」と言うと電話先からも日本語が!! あぁ、よかった。
 こんな事態を想像したのか、このホテルを教えてくれた美女(半DF在住)
 が先回りしておいてくれたらしい。そこで、聞いていたのと値段が違う旨を
 言うと、「それってホントにドル? ペソじゃない?」 ん?ん?ん?
 あっ、そうか、空港での両替レートが大体US$1=N$3だったから、
 N$30って、US$10か。そもそも、ここはもうメヒコなのだから、
 ドルってことは無いよなぁと、ようやく冷静に物事を考えることが出来る
 ようになったのであった。それまでは、知らないうちにメヒコに来たことで
 興奮していたようだ。 \\(;^VIVA、MEXICO^;)//

 で、電話はそれだけでは終わらなかった。今晩彼女の家でパーティがある
 から来ればとのお誘いまで付いていた。ラッキー! 実は、出発前に教え
 た電話番号が間違えたので、訂正しようとしたが既に連絡が取れなかった
 ので、紹介したホテルに行くだろうと山を張って連絡しておいたのだそうだ。
 でも、そのお蔭で無事に寝床を確保出来たし、頭も冷静になれました。
 大いに感謝、感謝です。

 部屋に荷物をおいて、パーティに出かける前にヤボ用を済ませることに
 した。空港で両替した分は、地下鉄代と宿泊代で丁度無くなってしまった。
 そこでまず CITI BANK のカードで下ろせるATMを探さなければ。
 幸い街のどまん中。出発前に CITI BANK に確認したらDFだけでも、
 500以上もATMがあるとのことだったので簡単に見つかると思ってたが、
 これが大間違い。提携マークは付いているが利用できないATMばかり。
 結局30分も走り回ってようやく現金を入手することが出来た。
 BANCO INTERNACIONAL ならば、OKです。他行のATMでも提携マークは
 ついているものもあったが、実際には利用できなかった。 POR QUE?

 次にしなければならないのは、「水」。多分帰りは夜中だろうなと思い、
 今のうちに確保しておいた方がいいと思ったのは、多分にSHOHさんの、
 レポートを読んでおいた為です。感謝してます。 >SHOHサン ^o^/
 で、これは実にあっけなく入手出来てようやくひと段落。
 
 では、いざメヒコ流パーティへ!!
 電話で聞いたら地下鉄2号線をひたすら南下し、終点一つ手前で降りて、
 駅から出ているペセロ(小型のバスです。かなり細かい路地を走るので、
 慣れれば超便利ですが、地理に明るくないとどこに連れて行かれるかは
 わからないという勝負の乗物)に乗って、何とか通りと何とか通りの角で
 降りて、そこからは歩いてすぐだからとのこと。でも、どうやって降りる
 ところを知ることが出来るんだよぉ〜〜! 

 しょうがない、いつものごとく出たとこ勝負だ。満員状態のペセロで、
 根性で運転席のそばを死守して、運ちゃんに教えてもらった交差点の
 通りの名を聞き続けてひた走る。どれぐらい走ったかわからない。
 多分、5分ぐらいかな? 10分も走っていないと思うけど、その時は
 本人はそれどころではなかった。突如、運ちゃんが外を指さす。どうやら
 降りろと言っているらしい。じゃぁ、ここがその交差点??? 不安だ。
 でも降りるしかないんで、降りてキョロキョロと見渡すと、聞いていた
 通りの名が壁に書いてあった。あぁ、よかった。んで、教えられた通りに
 歩いて行くと、上の方から声が。やったぁ、到着。お疲れ様でした。(^^)

 その後は、パーティとなりホテルに帰ったのは2時ぐらいだったかな?
 8時ぐらいから始まるはずのパーティも、最初のグループが来たのが
 すでに12時前。あとの人達は私が帰った後に来たそうで、他にも
 翌日に来た人とかもいたとか。流石はメヒコ流だわ。すっげぇ〜〜!!

                           1日目おしまい

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 2日目

 朝10時過ぎに起きた。比較的元気。部屋でぼぉ〜としていると
 ちょうど電話が鳴った。安いホテルだが、電話もついていて便利だ。
 「ブ、ブエノ?」と少しだけ頭はメヒコに順応したようであった。
 「もしもし」!!! 今度は相手が日本語。まいったなぁ〜 ^^ゞ
 例の半DF在住の美形な人からの電話だった。(今後も度々登場
 しそうなので、N嬢としましょうね。)

 明け方までパーティ(宴会?)をしていたと話している割りには非常に
 元気で、ちゃんと私のクーバ行きの手配のことを心配してくれての
 電話であった。彼女は私に電話する前に代理店に電話していて、既に
 いろいろと調べてくれたのであった。あぁ、女神様のようじゃぁ。。。

 で、結局のところ、私としても出来るだけ早くクーバに行きたかった
 ので、とにかく動き出すことにした。2つのうちどちらかを選べと
 言われれば、変化がある方を選ぶというのが私の持論である。
 昨日降りたメトロの駅で待合せということになり、ほとんどそのまま
 部屋を出た。(まだ、時間の概念が日本人なのであった。 ^^ゞ )
 
 約束の時間に到着したが、彼女はまだ来ない。さすがに腹も減ったので
 そこらにある店を眺めていたが、全然来ない。うぅ、腹減ったよぉ〜。
 でも、食べている時に到着されたらと思ってじっと我慢の子であった。
 (表現が古いなぁ〜 ^^ゞ ) やっとラテンな時計を持つ彼女は現れた。
 多分5分かそこらだと思うが、実に長く感じたのであったが、人間なんて
 現金なモノで新しいことが起こると別のことは簡単に忘れてしまえる。(笑)
 ペセロに乗り、道を聞きながら探し回って、目的の旅行代理店に到着。
 『CUBAMOR』かぁ。いい名前だなぁ。何かを予感させている。
                     ~~~~~~~~~~~~~~~
 中に入るとひとりの若きメヒカーナがバタバタと走り回っていた。
 そんなに大きなオフィスじゃないのだが、とにかく忙しそうであった。
 ようやくひと段落がついて、こちらの話しを聞いてくれる番となった。
 しかし、そのメヒカーナ(A嬢としますね。 ^^ゞ )はスペイン語しか
 話せないようだ。勿論私はそんな芸風をまだ身に付けていない。。。
 ということで、N嬢とA嬢の間で話しは盛り上がっており、当の本人は、
 途中思い出したように確認を求められるようにしてクーバ行きの話しは
 決ったのであった。

 結局7泊8日のツアーで、最初3泊はYUMURI(この時点では全く
 どこだかわからなかった)、後の4泊はLA HABANAとのこと。
 アバナのホテルは PANAMERICANA とのことで、これは確か MOMOTOMBOサン
 が以前に泊まったところと同じだなということだけはわかった。
 料金はUS$480+70(一人部屋使用料)だがそんな大金を持って
 いるわけもなく、カードで支払う。日本のカードでしかも結構な大金を
 扱うことになってしまったので、A嬢の方が慌ててしまったようだ。
 電話で確認し、やり直しをしたりしつつも何とか処理が終わり、次は
 ツーリストカードの作成であった。これも当人はパスポートを出した
 だけ。またA嬢がバタバタと狭い事務所をかけまわりやってくれた。

 ほとんど手続きは終わり、あとはチケットとツーリストカードを他の
 オフィスから持ってくるのを待つばかりとなった頃に、N嬢はそろそろ
 帰らなければならない時間になった。昨夜のパーティの続きがあるそうだ。
 一体メキシコ流のパーティって。。。。。
 などと思っている間にも、A嬢と二人になってしまった。
 お互いに椅子に座って見つめ合ってしまう。だ、だって言葉がぁ。。。
 
 と、こんな時のために、辞書を持ち歩いていた Kong! であった。 ^^ゞ
 それでも結構固まってしまっていたが、唯一、でもとっても大事なことは、
 理解できた。(もしかしたら勝手にそう思い込んだだけかも知れないが。)
 「クーバから戻ったら電話してねっ♪」と彼女は言ったのであった!!
 (そっかぁ、やっぱりここは「CUBAMOR」だなぁ〜〜。 *^^*/

 どのぐらい時間が経ったのか(多分30分ぐらいだったと思うけど)、
 救いの神が現れた。チケットとツーリストカードをもったおにぃさん二人。
 その内の一人は何とか英語が話せるようだ。まずはいろいろと必要事項の
 説明を受けて、その後はただの雑談をしばらくしていた。勿論話しのネタは、
 A嬢のことだった。その間にもしっかりと彼女の写真を撮り、名刺を
 もらったりなどのこちらの必要事項を済ませたのは言うまでもない。
            \\(;^◇^;)//

 名残り惜しいながらも、彼等は一応仕事中だったので、そろそろ引き上げる
 ことにした。勿論、帰ってきたら絶対に電話をしよう!、その為にはクーバ
 での1週間でスペイン語の勉強もしよう!と強く心に誓ったのであった。
 そうしないと彼女と話しが出来ないぃぃ。。。 男なんて可愛いものさっ!

 A嬢に感謝をして、代理店を後にした。折角ここまで出てきたのだから、
 COYOACANが近いのでぶらつこうと思い、再度ペセロに挑戦。
 (この時にはすでにA嬢のことは頭の中には無かった。すぐに目新しい
  ことに気を惹かれてしまうのが、Kong! の特徴であった。 ^^ゞ )
 と言ってもCOYOACANとは地区の名称だから、乗るときに目的地を
 言って行くかどうかを確認しようかなぁと思ったのであった。
 (この頃はまだまだラテンに染まっていない、ハポネスなのであった。)
 その時に、トロツキーの家ってのを思い出したのでそれを運ちゃんに言った
 けど分かってくれない。 ;_; でも、後ろに座っていたおじさんが分かって
 くれたらしく、「このバスで行くぞ。俺が教えてやる」と言っている様に
 勝手に理解してバスに乗り込んだのであった。

 またまたペセロは住宅街の路地を走って行く、でも何だか見覚えがある所だ。
 冷静に考えてみると、トロツキーの家はN嬢の家の近くだったのである。 ^^ゞ
 案の定、おじさんに降りろと言われた場所も昨日の交差点の近くだった。
 でも、この交差点には、結構大きな看板が立ててあり、「トロツキーの家は
 あっち」って書いてあった。(聞いても分からないが、読むとスペイン語って
 案外理解できるものだ。単に英語にスペルが似ているからだと思うけどね。)

 ということで、とりあえずトロツキーの家に無事に着き、その後噂のクルマ
 「TSURU II」を発見して写真などを撮ったりしつつ、COYOACAN
 を散歩して、街のソカロへと出た。丁度土曜日の午後だったのでメルカードが
 出ており、多くの人達で盛り上がっていた。その頃になってようやく腹が
 減ってたことを思い出し、屋台を冷やかしながらトルタやタコスなどを食べ
 歩いた。ら、突如雨が降り出した。そういえばN嬢が、「このところのDFの
 天気は全然読めないので、傘は持ち歩いた方が良い。」って言ってたことを
 思い出したが、もう遅い。とりあえず屋根のあるところに避難だっ!

 でも、全然やむ気配は無い。このままではしょうがないので、動き出そう。
 同じく雨宿りしている人達に、メトロの駅へ行く方法を聞く。どうやら、
 又ペセロに乗れば良いようだが、来た駅とは違うところに行くみたいだ。
 ま、それもいいかと、見えたペセロを捕まえて、「メトロ?」と叫ぶが×。
 次のペセロでも挑戦。又負けた。きっと路線がいくつかあるに違い無いと、
 この頃になって頭の中がかなりメヒコに同化し始めたようであった。 ^^ゞ

 3度目でようやく乗せてくれた。きっと運ちゃんが駅のところで降ろして
 くれるだろうとタカをくくって、初めて一番後ろの席に落ち着いてしまった。
 30分以上もあちこちを走り回っただろうか。初めのうちは乗降者共に結構
 いたのだが、だんだんと乗客が少なくなってきて、最後は私だけになって
 しまった。しかも周囲の町並みはかなり寂れている。ヤバイかなぁ〜とも
 思ったがもう最後まで行くしか無いと開き直ってしまった。すると突如停車し、
 降りろと言っているらしかった。でも、全然メトロの駅がある雰囲気は無い。
 そこで、運ちゃんに「駅はどこじゃ?」と聞くと、何やら雰囲気が怪しい。
 もう1台止まっていたペセロの運ちゃんと話し始めた。で、そっちに乗れと
 指を指す。きっとこっちで連れて行ってくれるんだなと物事を都合良くしか
 解釈しない性格の私は乗り込み出発を待った。

 しばらくして出発したペセロだが、乗客は相変わらず私ひとり。でも相変わらず
 雨は降り続いていたので、焦ってもしょうがないと結構気楽なものであった。
 そのうちに又混雑し始めた頃に、運ちゃんが降りろと言う。でも、その後の
 説明をしているらしいがまったくわからない。すると別の乗客が何やら彼と
 話しをして、俺についてこいと言うのであった。(この頃になると、全く
 わからないハズのスペイン語を理解し始めているのであった。人って必要に
 迫られると案外何とかなるものであると、いつも思うのであった。 ^^ゞ )

 果して、彼について屋台の間を抜けると、おぉ!メトロの駅が見えてきた。
 何だか自分の知っているところに帰ってこれたように感じてしまい、妙に
 嬉しかったのだが、当然その駅に来たことなど一度もなかった。(当り前!)

 ちなみにその頃には雨も小降りになり、傘が無くても何とか動ける程度であった。
 でも、明日の朝は超早いので、今日はトットとホテルに戻って、飯を食って
 寝ることにしたのであった。
                            2日目おしまい

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 3日目

 DF(注:メキシコシティのことです)は標高2000m以上の場所に
 あることはとっても有名です。でも、何故か暑いところだという概念は
 破られていないのであった。実際には、この季節でも朝夕は結構寒く、
 皮のコートにマフラー姿も特別におかしくないほどに見かけるぐらい
 である。(そりゃそうだ、100m上昇すると0.6度気温が下がる
 のだから、標高2000mならば海岸と比べて12度も低いのだ。)

 ということで、ここからが本題です。 *^^*
 朝4時の空港はとっても寒かった。上記のことなどすっかり忘れていた
 マヌケな Kong! は、超暑い真夏のクーバに行くのだからとTシャツに
 短パンという姿でタクシーを降りた。指定されたアエロメヒコの
 カウンターは、周りには沢山着込んでいる人達が溢れていた。それでも、
 まだお気楽な Kong! は、「ペルーとかの南半球は今冬だからきっと寒いと
 思ってみんな着込んでいるだなぁ」などと考えながら見ていたのだ。

 集合の時間を過ぎても「CUBAMOR」関係者の気配は無い。でも、
 アエロメヒコの搭乗手続を待つ人達の列は確実に長くなっていた。んん?
 流石にお気楽な Kong! も何か察するところがあり、並んでいる人達と
 コミュニケーションを試みた。するとどうやら彼等は全員クーバに行く
 らしい。えぇっ! だって、あんなに厚着して、しかも出稼ぎの人達の
 様にでっかいスーツケースを一人でいくつも持っているのにぃ〜〜!!
 (でも、今こうして書いてながら落ち着いて考えてみれば、冬に成田から
 ハワイに行く人達って、きっとこういう感じ何だろなぁと思えた。)

 と、とにかく並ぼう。で、でも、クーバってどういうところなんだろう?
 (この時はまだメヒコの階層社会を実感していなかったのであった。)

 一応飛行機に乗れた。B757だったが、多くの人を乗せられるように
 するためか、かなり前後の幅を狭くしているようで、私が座っていても
 結構きつい。ラテンな人達は結構立派な体格の人が多いようだが、彼等
 には、この席では拷問に近い3時間の空の旅なのでは? とか思いつつ、
 出されたハムとチーズをはさんだバターロールとコーヒーを食べている
 うちに、窓の下には陸地が見えてきた。最初はカリブ海に浮かぶ島の
 ひとつだと思ったが、陸地が無くなる気配はない。ってことは、
 こ、これがクーバ? 思わず感激し、窓越しに何度もバカチョンカメラの
 シャッターを切ったが、すべてピンボケだったのは言うまでも無い。;_;

 そして、遂にホセ・マルティ空港に到着。想像していたよりも広い敷地だ。
 考えてみれば結構多くの国々から国際線が到着するのだから、当然である。
 飛行機が停止し、タラップを降り、歩いて空港の建物へと向かう。しかし、
 晴れていたから良いようなもの、もし雨とかだったらどうするんだろうか?
 まさか、飛行機に乗るときにみんな傘を持っていたりしてね。 ^^ゞ

 入国審査は簡単であった。パスポートとツーリストカード、それに帰りの
 チケットをまとめて最初に渡してしまったので、何も話すことも無くスタ
 ンプを押してくれておしまい。でも、後で良く見ると、パスポートには、
 通し番号らしき数字を押しただけで、噂に聞いていた通りにこれだけでは、
 クーバに来たことはわからないだろう。

 何度か紛失されたことがあるので、それ以来航空会社を信じないので、
 荷物はいつも carry on (機内持ち込みね!)してしまうので、段トツに
 早く税関もパスし、ロビーで「CUBAMOR」の名札を探した。(これ
 が本当に可愛いデザインなのだ。) 凄く大勢の人達が群れ集まっていた
 が、何とか発見したら、向こうを指さして、あのバスに乗って待ってろと
 英語で言ってくれた。(^^) ではとバスまで歩いて待つことにした。
 だって、他の人達はあの大荷物が出てくるのをみんなして待っているだから。
 しかも、エアコンのきいた寒いぐらいのバスの中から見ていると、飛行機
 から取り出したとてつもない量と思えるほどの荷物は、大きな荷車みたいな
 ものに乗せられて、空港建物の横(丁度バスの目の前)に運ばれてきて、
 建物内部へと続いているのであろうベルトコンベアに次々と降ろされていた。
 あれだけあれば当分待つことになるなぁと思いつつも、又、雨だったら
 どうするんだろうと考えてしまった。単に雨が嫌いなのであった。ワガママ

 結局1時間程も待ったであろうか。さすがラテン。\\(;^◇^;)//
 ようやくツアー御一行様全員が揃ったようで、ガイドらしきクーバナが、
 スペイン語(多分ね)で何やら説明を始めた。ジョークでも連発している
 のか、それとも単にツアー客(総勢21名。メキシコ人20人、日本人1人)
 のノリがいいだけなのかはわからなかったが、まるで修学旅行のバスの中の
 様に盛り上がっていた。「ツアーっていうぐらいだから、ほとんどの人が
 初対面なんだよねぇ?」って誰かに聞きたかったぐらいだ。

 盛り上がった説明もようやく終わり(これが長い長い。でも、クーバで
 誰かが何かを説明し始めるとみんなとても長いのであった。どうして?)、
 やっとバスが動き始めた。ガイドの説明もわからず、ツアーの日程表も
 持ってなかったので、どこに向かっているのかすらも知らなかった。 ^^ゞ

 一番前の窓側の席を死守していたので、最初のうちは窓の外の光景を
 ずっと見つめていたのだが、流石にそれも飽きてきた。だってもう30分
 以上も乗ってるんだよ。で、後ろの席にいた男に英語で聞いてみた。
 彼は余り英語がわからないらしく、ひたすら「YUMURI」と「2」を
 繰り返す。どうやら今晩のホテルがあるYUMURIまで行くのには、
 2時間ぐらいかかるらしい。(こうやって少しづつ言葉以外での
 コミュニケーションを学んでいくのであった。) となれば、仕方がない。
 おとなくし座ってるしか無かった。途中海が見えたり、荷台に20人
 ぐらい人を乗せたダンプカーとすれ違ったりといううちは良かったのだが、
 2時間を過ぎた辺りから、道行く人もまばらになりだし、山の中へと
 進んでいるように感じ、何やら不安が。。。。

 遂にバスが停止した。山に囲まれた谷のような場所で、周りは何もない。
 ただ、いくつかの建物とプールが敷地内にあるだけのところだった。
 「こ、ここがYUMURI?」と運ちゃんに聞くと、にこやかにうなずいて
 くれた。そっかぁ、ちょっと予想とは違ったけれども、そういえば代理店で
 キャンプがどうのこうのとかって言ってたなぁと思い出していた。
 同行のメキシコ人はみんなとってもうれしそうだった。これは後から
 知ったことだが、クーバに旅行に来るような人達はメヒコでは中流以上の
 人達であり、休みとはいわゆる西洋のバカンスだから、何もない自然に
 囲まれたところでホントにのんびりと過ごすってことを好むそうである。
 へぇ〜、そうなんだ、何て事はこのときは考えていない。とにかく元気な
 人達だなぁ〜と思っただけだった。(実は彼等の元気さは、とてつもない
 ということを、一緒に過ごす時間が多くなるにつれて教えられたのだ。)

 飛行機が到着したのは12時過ぎだったが、今は夕方の4時になろうと
 していた。とりあえずチェックインをして、荷物を置く。ツインルームに
 一人だった。部屋はとてもきれいだ。TVもあるし、冷蔵庫もあった。
 勿論、エアコンもついている。ドミトリーには慣れているが、こういう
 部屋だとどことなく落ち着かない。(単なる貧乏性) だから、
 部屋を出て敷地内を散歩することにした。ホテル部分は3棟あり、他に
 朝夕バイキングというレストランが1棟、娯楽場(ボーリング2レーンと
 ビリヤードが1台)が1棟あった。更に奥には従業員用の宿舎もあるみたい
 だが、まるで森の中といういうぐらいに木が生い茂っており、敷地もどこ
 までがそうなんだっていうぐらいに広いので、「みたい」というだけで、
 結局滞在中に確認しに行くことはなかった。

 夕食は7時から10時だったので、まだ2時間以上も時間があったので、
 折角目の前にプールがあるし、泳ぐことにした。夕方とは言え、まだ充分に
 太陽は強くまぶしかった。軽く泳いだ後、ほんの1時間ほどプールサイドで
 寝ていただけで、結構焼けていた。おぉ、さすがクーバ! サンオイルを
 使わなくても、全然痛くも無く、しかもいい色だった。うぅん、納得!!

 プールから上がって部屋に戻り着替えていたら、7時を過ぎた所だった。
 丁度いいと思いレストランに行ったが、まだ誰も客がいなかった。でも、
 飛行機の中で食べたのが最後だったので、腹もかなり減っていたので、
 誰も待たずに食べることにした。大体バイキングなんだから、早いもの
 勝ちって部分もあるだろうと思ってのが、やっぱり日本人なんだろうか?
 出されていたものを一通り全部取り、更におかわりをして食べに食べた。
 それでもまだ誰も来なかったのでとりあえず部屋に戻って食休みをしてから
 夜を楽しみに出てこようと思ったのだが、不覚にもそのまま朝を迎えて
 しまったのであった。 \\(;^◇^;)//
                           3日目おしまい





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