横浜・大船 込江保次税理士事務所

総天然色旅行記
1〜3日目
4〜6日目
7〜9日目
10〜12日目
13〜15日目
16〜17日目
写真集 NEW!
Frente Pinguinista

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ/その4

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 10日目

 いよいよキューバを発つ日が来てしまった。名残り惜しくもあり、でも、
 またすぐに戻ってくるからいいやって思う部分もありの複雑な心境。
 飛行機の時間が11時45分だったので、9時前にホテルフロントに
 集合して空港へ向った。前日、というか明け方までキューバの最後の夜を
 楽しんでいた人がほとんどだったようで、みんな眠そうだった。

 ホセ・マルティ空港に着くとそこは相変わらずの人混みだった。その中を
 訳も分からずツアー一行の後に従い、何とかチェックインをした。ほぉっ。
 (ツアーと言ってもチェックインはホテル同様に個人でするので、もしも、
  しくじると飛行機に乗れないってことも有り得るのだろうか?)

 さすがにまだ出発までは1時間以上もある。とはいえ、出発ロビーも当然
 人が多くて、椅子など空いているわけもない。うぅ、眠いぃぃ。ZZzzz...
 と壁にもたれて一人ぼぉっとしていると、突如ツアーのメンバーのひとりが
 ノートを持って近付いてきた。(彼女は少し英語が話せる)
 「日本に行くことがあったら連絡するから、住所と電話番号を書いて」
 ってホントぉ? ま、どうせヒマだしいいかって感じで書いていると、彼女
 の旦那がカメラを構える。どうやら、奥さんと一緒の写真を撮らせてくれと
 言うことらしい。(彼は英語は話せない) それではと、ポーズなどして、
 カメラに収まった頃には、その他のツアー御一行様も、時間を持て余したの
 か、それとも、名残りを惜しんだのか事実のほどはわからないが、いきなり
 撮影&サイン会が始まってしまった。 \\(;^◇^;)//

 と、そんなことしつつも、実は冷静であった彼等は、しっかりと飛行機に
 一番で乗るために、2つあるうちの滑走路へと出られるドアの前に順番を
 取り初めていたのである。そう、キューバからメキシコへの飛行機では、
 座席の指定などは無く、早いもの勝ちであるため、皆真剣なのであった。 ^^ゞ

 そろそろ出発予定の時間が近付いて来た頃には、2つのドアの前には、一番
 乗りをするための乗客が群がっていた。そして、空港係員が来て、1つの
 ドアの前に止まった。それは、我々のいるドアとは反対のドアであった...
 慌てた一行は、係員のいるドアの方へと大移動を始めるが、時既に遅し。
 勿論、そのドアの前にも同じ様な考えの人達が群をなしていたので、ドアに
 近寄ることさえ出来ないまま、無情にもその係員がドアに近い人間から順に
 チケットを確認して、搭乗を始めたのであった。我々は飛行機に向って走る
 人達を羨まし気に見ながら、自分の番を待つしかなかったのである。
 (しかし、ホントにみんな滑走路を走る姿を見ると、滑稽でしか無かった)

 結局かなり遅れてドアを通過出来たので、走ることなく飛行機に乗り込み、
 いよいよ出発。乗客全員が昨夜は夜遊びしたのかと思うほどに、離陸と前後
 して、みごとに静かになった機内。そして、およそ3時間後、間もなく
 メキシコシティに着陸とのアナウンスが流れると、乗客一同が少し緊張した
 雰囲気が伝わってきた。ま、まさか。。。 話しには聞いていたが、あれか?
 ホントにそんなことがぁ? う、嘘だろう?

 窓の外にメキシコシティが見えて、滑走路が見えてきた。そして、着陸。
 すると、機内から一斉に「拍手」が起こった。や、やっぱり、ホントだった。
 (しっかし、今の時代に、飛行機が着陸して拍手するかねぇ〜 ^^ゞ )

 手荷物だけだったので、飛行機からロビーに着いたところでいよいよ8日間を
 共にしたツアーのみんなともお別れだと思っていたのだが、カルロスに声を
 かけられた。一言「一緒に来い」と。彼の家族みんなには、ツアーの中でも
 一番親切にしてくれたし、きっと空港を出るところまで面倒を見てくれるん
 だろうなぁと思ってついて行くことにした。しかし、、、
 前回の経験から今度はちゃんと申告書を書いてから、税関のあの「ボタン」に
 挑もうと申告書を取りに行って、一瞬カルロスと離れた隙に、彼は申告書も
 持たずに「ボタン」の方へ。おいおい! メキシコ人だからって、それはない
 だろうと思っているとやっぱり、係員に止められていた。でも、彼は何でか
 理由がわからないらしかった。仕方が無いので、彼の分の申告書も持って、
 説明してあげた。これではどっちが面倒見ているんだかわからないぞっ!

 今度も無事に「ボタン」を通過すると、遂にメキシコに帰還。と思ったら、
 カルロス家族を向える夫婦がいる。ん、誰だ? 一緒に行ったエリエッタ
 (カルロスの次男ミゲールの彼女)の両親が、迎えに来ていたのだった。
 納得。では、いよいよお別れと思ったら、これからエリエッタの家にみんなで
 行って一緒に昼飯を食べるのだから一緒に来いと、立派な体格の彼女の父に
 拉致されてしまった。(ま、どうせ何も予定は無かったからね)

 彼の運転するフォルクスワーゲンのタイプ2(ワゴン車ですね)に、総勢8人
 が乗り込み、いざ出発。どこをどう走ったのか全然わからなかったが、説明に
 よれば、メキシコシティの南に向っているとのこと。途中渋滞あり、スーパー
 での買い出しありで、結局1時間半ぐらいかかって到着! 静かな住宅地の
 一角という感じだが、ここで捨てられたら絶対に帰れないなって所だ。 ^^ゞ

 2匹の大きなドーベルマンに迎えられて、家の中へ。それから、メキシコ流
 日曜日の昼飯(?)の始まり始まりぃ〜〜。 (*^o^*)
 まずは、自家製ポテトチップとコークで、時間つなぎ。次に、両パパが、
 テキーラを空け始めると宴は本格化してきた。徐々にテーブルの上を、両ママ
 が作る料理が占領し始めて、もうこれ以上は乗せられないと言う頃になって、
 作るのを諦めて(?)両ママがテーブルに着くと、宴は絶調に達したのだった。
 特に自家製トルティージャが、超旨くて、タコスを作らないで、これだけで
 何枚も食べてしまったほど。それにしてもみんな良く食べるし、良く飲むし。
 ようやく一段落ついたのは、夕方5時過ぎ。実に、ここに着いてから3時間。
 それでも、まだ両パパはテキーラをはさんで、キューバの話しで(多分)、
 盛り上がっていた。こりゃぁ、長期戦だなと思い、まだそんなに飲んでいない
 で冷静だったので、今のうちに今晩の宿を確保しておくことにした。勿論、
 この前利用したホテルレオンに泊まるつもりだったが、電話番号が見つからな
 かったので、メキシコ版ハローページで探し、電話をした。でも、予想通りに
 無駄だった。そう、相手はスペイン語しか話せないのだ。そこで、こちらは
 秘密兵器で、ミゲール&エリエッタのカップルに頼んでしまった。(安易だ)
 彼等に英語で説明して、それを電話で伝えてもらって一件落着。これで、もう
 何時までここで遊んでいても大丈夫。安心してテキーラが飲める。^o^//

 その後、カルロスJr(カルロスの長男)とその彼女が登場し、(って、ここ
 は、弟の彼女の家だぞぉ〜。メキシコの家族関係って限りなくオープンです。)
 しばらく、盛り上がった後、彼等は今夜市内のどこかの公園で行われるという
 ロックのライブに出かけて行ったのであった。そう言えば、カルロスJrと
 彼女は二人して黒の皮ジャンを着込んで、見るからにそれっぽかったのだ。
 それから、まだまだ宴は続き、結局そこを出たのは夜10時だった。

 目一杯テキーラを充電したエリエッタパパの運転でカルロス家へ。空港からの
 時よりも運転が荒いと思ったのは気のせいでは絶対に無いはずだ。だけど、彼
 は、「加減して飲んだから大丈夫だ」としっかりと後ろを向いて説明する。
 わかったから、運転中によそ見しないでくれぇ〜って感じだった。日曜の夜の
 メキシコの道路というのは、結構こんでいたので凄く恐かった。何はともあれ
 無事にカルロス家に到着。ここはコヨアカン地区だそうで、メトロの駅も近く
 にある。エリエッタパパはホテルまで送ってくれると何度も言ってくれたが、
 丁寧にお断り申して、最寄りのメトロの駅まで送ってもらうことにした。
 何故だかひとつ駅を通り過ごして、次の駅のところで降ろしてくれた。うぅ、
 ホントにあの運転は恐かったが、とりあえず生きていた。 (^_^)

 そこからメトロに乗り、ホテルに着いたときには12時を回ろうとしていた。
 確か、昼の12時に空港に到着したんだよなぁ〜。やっぱり、ここはメキシコ
 だなぁと思いながら、眠りについたのだった。
                            10日目おしまい

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 11日目

 やはりキューバでパワーをかなり放電してしまったのだろうか、朝起きた
 つもりが、全然朝ではなかった。 ^^ゞ

 でも、ここはメキシコ。そんな細かいことなどハナから全然問題ではない。
 大体最初から予定などないのだから...

 それでも、今日はいくつか行きたい場所があったのだった。でも、まずは
 朝食。メキシコに戻って来たからには、やっぱり JUGO NARANJA と TACOS
 というメニューに惹かれてしまい、ホテルを出て歩きながら見つけた屋台
 に吸い込まれてしまった。そして、望みのものを食べていると、隣りには
 スーツをビシッと着込んだ紳士が。が、彼の飲んでいるものが凄かった。
 一見同じオレンジジュースなのだが、黄身が2つ浮かんでいた。えぇぇ!!
 JUGO NARANJA con dos huevos とでも言うのだろうか? 栄養有り過ぎじゃ
 ないかなぁ〜。ちょっと試してみる勇気はなかったけど、どんな味だろう?
 などと朝っぱらから感動しつつ、やっぱりここはメキシコだった。なんの
 こっちゃ!

 今回是非ともコンガかボンゴを持ち帰りたいと思っていたところ、昨日の
 宴会の時に、ミゲールが楽器屋が集まっている一帯があることを教えてくれ
 たので、早速探してみることにした。と言っても MOSONES ST.だけじゃねぇ。
 とは思ったが、時間はいくらでもあるとその通りを端から歩けばきっと見つ
 かるだろうと、結構気楽な気分で歩き始めたが、15分もしないで発見!
 ホントだ、楽器屋が集落をなしている。お茶の水よりももっと沢山あるぞ!
 でも、電気楽器関係を扱っている店がほとんどのようだった。それでも、
 とりあえず太鼓系を扱っていそうな一件に入ってみた。おぉ、あった。
 (実は、この時ほとんど初めてコンガとボンゴの実物に触れたのであった。)
 ありゃぁ、やっぱりコンガって凄く重たいんだね。これじゃぁ、2本も機内
 持ち込み出来ないし、大体空港までどうやって持って行けばいいんだろう?
 それに比べるとボンゴってお手軽。それに値段が超安くて嬉しいではないか。
 N$300? こっちは、N$200? チューニング出来ない皮が張って
 あるだけのやつならば、N$100以下でも何種類もあるぞぉ〜〜。 (^^)/
 と既に自分の物となったかのように、ボンゴを撫で回していたが、当然どう
 やって叩くのかすらも、知る由もなかった。それでも、何件か見て回り、
 絶対に買って帰るぞと心の中で強く誓って、その場を後にしたのであった。
 (もう少し良く見て勉強してから選びたかったし、帰国まで1週間もの間、
  ホテルに置きっぱなしにしておくのも、チト不安があったから。)

 次の本日の予定は、あの「ペンタグラマ」に行って、CDとカセットを買う
 ことであった。聞くところによると、レコード会社とは言いながらも、個人
 が直接行っても、売ってくれるということだったので、それならばという
 ことになったのだ。メトロを乗り継いで、CHIPANCINGO (多分ね)で降りて、
 地上に出てからも多少迷いながらも何とか到着。外見からはホントにここ?
 という感じだが、一応厳重な(?)インタフォンを通してのチェックがあって
 中に入れてもらったら、そこは宝の山、山、山。どれもこれも欲しくなって
 しまったが、ホントに切りが無いという感じで、選びに選んだのだが、それ
 でも、CD5枚、カセット5本。値段を聞いたら、あらら、お金が足りない。
 考えてみれば、昨日キューバから帰ってきたばかりで、N$はほとんど持って
 いなかった。 ^^ゞ 近くにある銀行の場所を教えてもらい、現金を仕入れて
 来て、ようやく買えた。あぁ、嬉しい。それにしても、まだまだ欲しいのが
 沢山あったんで、又メキシコに来たら補充に行かなくてはならない。

 さてさて、今日は予定が盛りだくさん。次は、メキシコのおみやげの下見に、
 シウダデラ市場へ。実はキューバに行く前に一度ここへ来たのだが、メトロを
 降りたら凄い雨で一歩も動けなくなってしまい、目前にして諦めたのだった。
 今回は天気も良いしゆっくりと見て回れた。まず目についたのが織物。これは
 カーペットとか、毛布なんかに使うのかな? 同じく手織で編んでいるベスト
 やバッグも気に入った。それから、楽器類もいろいろと置いてあった。ギロ、
 マラカス、タンバリン、クラベスなどの打楽器系から、ギターなどの弦楽器も
 ある。ギロはまだ持っていないから欲しいなぁといろいろと物色してみる。
 日本で3000円ぐらいで売られているものが、1/5ぐらいだった。 (*^^*)

 と、一日買物関係で動き回っていると、案外と早く時間は過ぎるのだった。
 実は今日のメインイベントは、これからだったのだ。\\(;^◇^;)//
 合気道にハマっている私は、メキシコにも絶対に道場があると信じていたのだ
 が、実はキューバのツアー一行のうちの一人がメキシコシティで習っていると
 知り、今日はその稽古の日だったので、見学に行く約束をしていたのだった。
 またもやメトロを乗り継ぎ(丁度、通勤からの帰りの時間とぶつかったようで、
 いつもにも増して車内は混雑していた)、北へ北へ。メキシコシティの北の
 外れにほど近い CAMARONES 駅で、下車。キューバで描いてもらった地図を
 見ながら歩くが、近くまで来たはずなのに、全然道場がある気配が無い。辺り
 には人通りも無くて、誰に聞くことも出来ないでいると、運良く一見していか
 にも近所の住人風のおばちゃんが通りがかったので、地図を見せて教えてもら
 うが、すぐには理解してくれない。それでも諦めずに何とか解ろうとして、
 何度も聞いてくれたので、こちらも一生懸命訳の解らないスペイン語を使って
 説明したら、ようやく何か感じたらしく、ついて来いと歩き出した。1ブロッ
 クほど歩いたところに、JUDO、KENDOなどの文字を発見!やったね!
 それにしても、メキシコの人たちってなんて親切なんだろう。大抵の日本人は、
 訳の解らない言葉を使う怪しげな外国人が話しかけてきたら、逃げ出すだろう
 なぁ。

 ちょっと約束の時間より遅くなったけれども、とにかく道場に到着。中に入っ
 てみると既に稽古は始まっていた。が、が、たった5人しかいない。聞いてい
 た話しでは、通常10人前後は稽古していると言うことだったし、植芝先生
 (合気道の超偉い人です)の内弟子という日本人の先生の姿も見られない。
 それでもとりあえずは稽古をしていたので、話しかけることも出来ずに、
 辺りの壁を見ると、サマーキャンプとの題と、植芝先生の写真が。日にちは?
 あれ、今日は丁度最中だ。場所はニューヨーク。ってことは、ここの先生も
 そのサマーキャンプに行ってしまって不在ってこと? 残念。しばらく見学
 していると、唯一の黒帯で、今日の先生代行という感じの人が話しかけてき
 た。やはり、先生はサマーキャンプに行っているそうで、彼は初段で、今、
 代行しているそうだ。他に3段のメキシコ人も先生と同行しているらしい。
 一緒に稽古するかと聞かれたが、生憎道着も何も持っていなかったので
 (当然とも言えるが)、おとなしく見学していることにした。本当は2週間
 ぐらい稽古していなかったから、やりたかったのだけど。稽古の内容は、
 ほとんど同じだった。同じ合気道をやっているのだから、当り前と言えば
 当り前なのだが、ここはメキシコで、今はメキシコ人が教えているのに、
 同じ稽古をしているということが、不思議な気がした。勿論、神棚があって、
 植芝先生の写真が飾られているのも、日本の道場と同じだった。でも道場は、
 畳ではなくて、マットを引いた上に、ビニールシートがかけてあるだけだった。
 (思いっきり投げ飛ばされたら、さぞ痛いだろうなぁと思ってしまう)

 稽古が終わったのは、夜10時前。そこで初めてキューバツアーの仲間と
 再開して、しばらく話しをしてから、彼等が着替えるのを待って一緒に駅まで
 歩いて戻り、そこで別れた。それから、また1時間程メトロを乗り継ぎ、
 ホテルに戻ってきたのは12時前だった。それにしても、今度は内弟子の
 先生がいらっしゃる時に、もう一度見学に、いや今度は一緒に稽古をしてみた
 いと思った。

 FBEAT と FBUDO な一日でした。 \\(;^◇^;)//
                            11日目おしまい

:愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 12日目

 今日は初めてまっとうにメキシコを観光する日なのであった。
 朝起きて、そのままメトロに乗り、その名も AUTOBUSES DEL NORTE
 と、ホントそのまんまの駅で下車。ここが、北方面行きのバスターミナル
 があるところで、そこから、本日の目的地であるティオティワカンに行く
 のだった。バスターミナルは思いの外デカく、思わず迷ってしまいそう
 だったが、適当なカウンターで「ティオティワカン!」と叫べば、いつも
 左端の方を指すので、そちらに行くとデカイ看板に「ティオティワカン」。
 片道の切符を買って、言われたバス乗り場へ行くと、バスがいっぱい。
 とりあえずティオティワカンと書いてあるバスに乗ると以外とすぐに出発。
 運ちゃんの隣りの一番前の席を確保して、観光モードに入るつもりが、
 熟睡モードに入ってしまった。だって、冷房が効いていて超快適だったのだ。
 まだ夢の中にいたが、運ちゃんの「ティオティワカン!」の叫び声で現実に
 呼び戻されて、バスを飛び降りた。

 そこは、駐車場の入口という感じのところで、遠くにピラミッドが見える。
 大きな建造物というのは、近くに見えて結構遠かったりするが、遠くに
 見えるのだから、ホントに遠いのだろうなぁと思いつつも、ここまで来たの
 だから、行くしかない。でも、既に非常に暑い。まだ、午前11時前。

 歩く、歩く。博物館の手前に両側に何軒かの店が並んでいたので、先を
 見越して水を一本仕入れた。まだ冷たくて凄く気持ちがいい。(*^o^*)
 死者の道の南端に来たところで、さっそく数人のおみやげ売りの洗礼を受け、
 無視してまずは、一番小さいけど意味的には重要と言われている(おみやげ
 売りのおじちゃんが言ってた)ケツアルコアトルのピラミッドへ向った。
 確かに前に写真で見たことがあるのと同じ蛇(?)の頭がいっぱいあった。
 証拠の写真を撮って、次は太陽のピラミッドへと向った。が、この間の距離
 は結構遠い。多分1kmぐらいではないかと思うのだが、日差しも強く、
 買ったばかりの水も既に半分ほど無くなってしまっている状態だったし、
 更に、幸か不幸かツアー御一行様の姿は全然なく、個人行動の観光客がボチ
 ボチといる程度だったので、実際の距離よりもとても遠くに感じた。

 とりあえず、到着。いや、確かにデカイ。事前学習によると、頂上まで
 200数10段の階段があるというが、だったらタイムアタックしてやろう
 ではないかと突如元気になってしまい、登頂開始。途中で休んでいる人達を
 後目にとにかく登る登る。そして、到着! 時間は、5分。なぁんだぁ、
 大したこと無いじゃんかと思ったが、勿論重大な問題を抱えていることを
 本人が知らない訳がなかったのである。実は、「高所恐怖症」なのだった。
 高い所は好きなのだが、そこから下を見た瞬間に足が。。。 ^^ゞ
 そんな訳で、なるべく下を見ずに、遠くの景色を眺めて感慨に浸り、意を
 決して降りることにした。5分で一気に登ったハズの階段を、登る時には
 触れもしなかった手摺にしがみつくようにして降りるしかない。どれぐら
 いかかったのか知る由もないが、とにかく無事に地上に戻ってきた!!

 来る前からわかっていたこととはいえ、実際に体験するとやはり恐かった。
 まだ、月のピラミッドが残っているのだが、何となく行きたく無いような
 気になりつつも、とりあえず近くまでは行ってみることにした。今度は、
 そんなにかからずにピラミッドの下に着いた。しかし、太陽のピラミッド
 よりも更に人は少ない。その時ピラミッドに登っていたのは、数人だった。
 (やっぱりみんな暑くて、ここまでは来ないで帰っちゃうのかなぁ?)
 よせばいいのに、目の前に高いものがあると登りたいという欲求が出る。
 これではまるで今は亡きジュリアナのお立ち台ギャルみたいではないか!
 と思うまでもなく、登ってしまった学習効果の無い私。頂上を極めた時は
 周囲には誰も人がおらず、ちょうど北端から眺める死者の道と太陽のピラ
 ミッドは、噂に違わず良い眺めという奴だった。

 さて、もう後は帰るだけだった。月のピラミッドには手摺も無かったので、
 それはそれは大変な気合いを入れてひたすら降り、地上に着いたら着いた
 で、入口である博物館まではまたひたすら歩くしかなかったのだった。

 やっと到着した博物館だが、既に体力を消耗し尽くしてしまい見学すると
 いう雰囲気ではなかったが、それでも貧乏根性からか、とりあえずひとま
 わりしてみたのだが、やっぱり見学というよりは、「見た」という感じ
 だった。ほとんどどんなものが展示してあったのかを覚えていない。^^ゞ

 バスを降りたところまで戻り、帰りのバスを待つことにしたが、不安だった。
 バス停はおろか、他に誰も待っている乗客などいなかったのだ。それでも、
 バスはちゃんと来た。そして、冷房の効いた快適な空間に包まれて、まさに
 でこぼこの道を通り、いくつかの村を抜けて1時間程で終点に着いた。
 が、そこは、来るときに乗ったバスターミナルではなくて、全然別の場所
 だった。それでも、メトロの駅の標識が目に入ったから、安心した。ヨカッタ!!

 すでに時間は2時を過ぎていた。当然だが腹が減っていたので、建ち並んで
 いる屋台を梯子して、手辺り次第に食べた。タコス、トルタ、菓子パンに
 フエゴ・ナランハ、そしてコーラ。あぁ、満腹。

 とりあえずメトロでホテルに戻ることにした。明日の夜に、カルロス家での
 夕食に誘われていたので、あのクーバ・アモールのA嬢にお誘いの電話を
 かけようと思っていたのだった。彼女からも「キューバから帰ってきたら、
 電話してね」と言われたような気がしたし。(スペイン語が分からない私)
 で、部屋に戻り彼女からもらった名刺を探して、フロントで電話を借りた。
 
 彼女のオフィスに電話すると、彼女が出た。こちらが誰なのかは、スペイン
 語が全然話せないってことで、わかったらしい。 (*^^*) でも、その後の
 お互いの意思の疎通は全く出来なかった。 ;_; そこに偶然来ていたらしい
 先日のチケットを持ってきてくれたおにぃちゃんが、電話を代ってくれた。
 訳の分からないスペイン語から、何とかなりそうな英語に代ったので、
 一気に明日の事を説明し、夕方7時に TASQUEN~A の駅で待合せることを
 伝えてもらった。しばらく間があってから、再度おにぃちゃんが出て、
 「彼女がわかったと言ってる。それじゃぁ、明日!」と言って、切られて
 しまった。不安だなぁ〜〜。

 しかし、やるだけのことはやったハズだから、後は明日を待つことにして、
 明日のネタになりそうな、「割箸」探しに出かけることにした。しかし、
 メキシコで割箸。簡単に見つかるとも思っていなかったが、とりあえず、
 街を歩いてそれらしい店で聞いてみようと思っていたら、何やら日本展が。
 中に入ってみると、宝石屋の客寄せだったのだが、便乗することにした。
 入口でパンフを配っていたアルバイトという感じのおねぇちゃんに、突如
 Quero palillos. と聞く。(ホテルを出る前に、箸が palillos であるこ
 とだけは調べておいたのだ。) 身振り手振りも交えたので、箸を探して
 いることは分かったらしいのだが、どこにあるのかは分からないそうだ。
 日本レストランに行けば置いてあるだろうし、うまく行けば少し分けて
 くれるかも知れないし、悪くてもどこに行けば買えるか教えてくれるだろ
 う、それに日本語が通じるハズだ、と思って聞いてみたが、この近くには
 無くて、ソナ・ロサに行けば何軒かあると教えてくれた。
 (最初の一言以外は、全部英語でした。英語が話せる子で、良かった。)

 何もソナ・ロサまで行かなくても絶対この近くで手に入るハズだと、妙に
 確信を持っていたので、にこやかに感謝してそこを離れて、自分の足で
 探すことにした。何軒かのデパートで聞いてみたが、扱っていないと言わ
 れて、気が着くと結構歩いたのか、サン・ファン市場の目の前にいた。
 ここいらはまだ来たことが無かったので、ついでに歩いてみようとブラ
 ブラし始めると、中華料理屋や、中国の雑貨を扱っている店が並ぶ通りを
 発見した。そして、一軒の中華料理屋の前の屋台に紛れもない割箸を
 売っているのを発見した。しかも、1膳づつ紙の袋に入った、いわゆる
 本当の割箸ってやつが。  \\(;^やったぁ〜^;)//

 すかさず店番をしていた、おばちゃんに聞くと、えっ? 1膳N$2?
 高ぁ〜い!! 2家族+αで、10人以上は集まるだろうから、15膳か
 20膳ぐらいは欲しかった。そうすると、1000円近くにもなるのだ。
 いくらメキシコとは言え、割箸で1000円も出したくはなかったので、
 しばし熟考していると、突如激しく雨が降り出した。少ない経験からも、
 簡単にはやまないだろうとわかったので、時間を潰せそうな隣りの雑貨屋
 にとりあえず避難することにした。ここで、ダメ元で、「割箸ある」と
 聞いたら、あっさりと「あるよ」。で、「いくら?」「10膳で、N$6」
 「20膳ちょうだい」。出てきたのは、中国風の竹で出来たもので、屋台
 のおばちゃんのと違って袋には入っていなかったが、全然構わなかった。
 こうして、目的の物を手に入れることが出来たので、大嫌いな雨だったが、
 折り畳み傘を持っていたので、ゆうゆうとホテルへと引き返したのだった。

 夜7時を過ぎてようやく雨も小降りとなったので、また出かけることにした。
 今日は火曜日。ホテルから歩いて10分弱のところにある Arena Coliseo
 で、ルチャ・リブレが開催される日だった。途中のレストランでビールを
 飲みながら夕食をして準備万端。会場に到着した時は、8時過ぎと、時間
 も完璧。一番安い席の切符を買って入場。2階の階段席だったが、自由席
 なので、一番前に陣取って観戦。メキシコでは、ルチャは低所得層の娯楽
 だとかで、治安もあんまり良くないなどとキューバで一緒だったメキシコ
 人達は言っていたが、子供連れが多いし、リング再度で盛り上がっている
 のは、スーツを着込んだ若い5、6人のおにぃちゃん達だった。もしかし
 たら、よっぽど私の方が、怪しかったかも知れない。すっかり盛り上がっ
 て、日本語交じりで絶叫していたような気がする。。。

 12時前には全試合が終わったので、まっすぐホテルに戻りましたとさ。

                           12日目おしまい





このサイトについて | 連絡先
Copyright © 2001-2002 KOMIE Yasuji. All Rights Reserved.