愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 4日目
朝起きたのは7時前だった。久しぶりの爆睡をしたようだ。
まだ、このホテル村の住民は誰も起きていないというぐらい静かだった。
部屋に居ても手持ち無沙汰だし、腹も減っていたのでとりあえず朝食を
食べに行くことにした。
朝食の時間は7時からだったが、さすがに1番だったらしい。
まだ、準備も整っていなかったようで、席に着くと慌ててウェイターが
出てきて、とりあえず飲物とパンを出してくれた。卵料理が出てきたのは、
しばらくたってからだった。別に急ぐ必要はまったくなかったので、
のんびりと食事をして出てきたのだが、それでもまだ村は静かだった。
「はて、今日はマタンサスツアーの予定だったはずだけど?」
翌日の予定だけは何となく聞いていたのだが、出発の時間も何も知らない。
そこで、ホテルの受付に行って出発時間を確認しようとしたが誰もいない。
「ま、いいか、時間はあるんだ。」 頭の方もここに順応してきたようだ。
バルコニーにいくつも置いてあったロッキングチェアーに座って、食後の
ひとときをぼやぁっと過ごすことにした。ホテルで飼っているらしき犬が
2匹近寄ってくるがまたすぐにどこかへ行ってしまった。
しばらくすると掃除をする人や、通って来ているらしい従業員を乗せた
マイクロバスなどが通ったりしてようやくホテルも起き出したようだ。
でも、まだ宿泊客の姿は見ていない。さすがメキシコ人だなぁ〜。
あとから聞いた話しだが、昨晩私が熟睡していた頃に、総勢20人弱で
夜10時頃に出発し、近くの町(と言っても車で30分ぐらいはかかる)
のディスコに繰り出し、帰ってきたのは朝5時過ぎだったそうだ。サスガ...
フロントに人の気配。出発時間を確認すると、10時か11時頃という
とってもラテン的な返事。\\(;^◇^;)//
さて、それまで何をするかなぁと又ブラブラと歩き始めると、プールの
近くの道端におみやげを広げているおばちゃんを見つけた。向こうも客を
発見したと思ったのか、熱烈な呼び込み。そ、そんなにされなくても、
どうせ何もすることがないんだから、行くってばぁ〜〜。 *^^*
置いてあるものは、いわゆるおみやげもので、手作りの工芸品が多かった。
その中でめざとくクラベスを見つけたのは言うまでもない。実は、メヒコの
メルカードでもチェックは入れてあり、大体の相場も知っていたのだ。
値段を聞くとUS$3と、ほぼメヒコと同じだった。でも、こっちのは、
「CUBA」と彫りが入ってる。ただそれだけの理由で買ってしまった!!
鳴り物に妙にそそられてしまうのは、いかんともし難かったのだ。
その後ウダウダと時間を過ごし、10時を過ぎたので部屋にカメラを取りに
戻り、集合場所だと言う場所へ行ってみた。でも、まだ出発の気配は無い。
しょうがない、又ロッキングチェアーに座って、クラベスの練習をして
待つことにした。すると通る人がみんな「俺に貸してみろ」と言い、
しばらく自分の世界に入り込んで叩きまくった挙げ句に行ってしまう。
ホントに彼等って音楽が好きなんだなぁ〜と改めて納得しているうちに、
ようやく全員集合して、出発となった。
マタンサスの町へは、バスで山を越えて行かなければならなかった。
時間にすれば15分ぐらいだと思うが、クルマ以外ではとても行く気には
なれないし、大体道も入り組んでいて迷ってしまいそうだった。
最初に町が一望できる丘の上でバスが止まった。確かに景色はきれいだ。
港を中心として、カリブ海がきれいに見える。でもメキシコ人達は、
町とは反対側の、ホテルがある谷の方ばかりを見て、写真などを撮っていた。
彼等ってホントに自然に興味があるみたいだった。何か不思議だなぁ〜。
次に町のヘソっぽい広場でバスは止まった。この辺りで、何か違う雰囲気を
感じ始めていた。と言うのは、今日1日はマタンサスを自由に歩き回って、
夕方にでも又バスが迎えに来てくれるのだと思っていたのだ。ところが
そんなことは、誰も考えてもおらず、実際そんなことは出来なかった。
ガイドで同行していたホテルのマネージャーに、「勝手に歩き回りたい」と
伝えたのだが(彼は英語が出来た)、
マネージャー「一人でホテルまで帰れるか?」
Kong! 「そ、それは無理に決ってるだろ! だから時間と場所を決めて、
帰りに拾ってくれない?」
マネージャー「時間の約束が出来ないから無理だ。だから、一緒に行こう!」
と押し切られてしまい、不承不精ツアーに同行したのであった。
広場を出発したバスは、駅前を通って、町を抜け、海沿いをしばらく走って、
丘の上のいかにも作ったという藁葺屋根の建物の前に着いた。ここはどこ?
みんなの後について行くと、コンクリート作りの小屋に入って行く。そこには
地下へと続く階段があるだけ。ん?ん?ん? みんなはUS$3のチケットを
買っている。一体この地下には何があるんだろうか? ここまで来てひとりで
待っていてもしょうがないので、わからないままにUS$3を支払った。
入口の扉が開き、順番に降りて行く。長い階段が続いているようだ。でも、
真っ暗で何も見えない。としばらく歩くと、突如明るくなった。単に電気を
つけるのを忘れていたらしかった。 \\(;^◇^;)//
中は、鍾乳洞であった。どうりで、チケットを買うときに英語で何かを言って
いたのだが、理解できなかった訳だ。そんな高度な単語知るわけがない。 ^^ゞ
途中いくつかの場所で止まりながら、説明をしてくれていた。その間にも
同行メキシコ人達は、お互いに写真を撮り合ったり、地下水を飲んだりと
大騒ぎだった。(ヲイヲイ、大丈夫かぁ。) 聞いたところでは、メヒコでも
鍾乳洞というのは珍しいのだそうだ。そ、それにしても.... (^^;
勿論、秋吉台とかにはかなわないが案外と大きい。一番奥までは15分ぐらい
歩いただろうか。そこには地下水がたまって大きな池が出来ていた。ここでは
2人が、泳ぎ出してしまった。おぉ〜いっっ!! で、その間にも説明は続く
し、騒ぎ疲れた人達は地上に向かって帰り始めるし。もう、バラバラ。
地上と比べると流石に少しは涼しかったので、出来るだけ長くいようと思って、
泳いでいる人を数人と一緒に待つことにした。するとガイドはどこから取って
来たのか、鍾乳石のかけらを持ってきて、手渡してくれる。しかも、早く隠せ
と言っているように、ポケットを指す。こんなことしていいんかぁ〜〜!!
ようやく最後に地上に出てくると、しばらくここで休憩するらしく、木陰に
置いてあるテーブルでみんな冷たい飲物を飲んでいた。それではと、ビールを
頼んで座ったが、木の反対側にいる4人が気になった。だって、楽器を持って
いるんだもん♪ 男性3人(ギターx2、ボンゴx1)と女性1人(マラカス)
の構成だった。素敵な歌声とテクだと思うが、ボンゴの音がとっても気になる。
んん? 何だか子供用のおもちゃの太鼓みたいな音だった。徐々に前進して、
確認。ありゃりゃ、皮の代りに厚手のビニールが張ってある。これじゃぁね。
みんなでカンパして、楽器を買う足しにしてもらうことになった。他のみんなも
気になっていたんだねぇ。30分ぐらい演奏していたのだろうか。その後、
ボンゴの人に叩き方を教わったりしているうちに、出発の時間が来たようだ。
そんなことを知らずに周囲を見渡して、ツアーのメンバーが誰も居ないのを
知ったときは流石に青かった。バンドのメンバーへの挨拶もそこそこにバスが
止まっていた方に向かって一目散に走った、走った。バスに飛び乗ると、
何故だか拍手喝采! 更に追い打ちをかけるように、名前を聞かれる。ん?
良くは分からないが、この時以来ツアーの主役に踊り出てしまったのである。
メキシコ人のノリってわかんないなぁ〜〜。
その後バスはまたマタンサスの町へ戻り、しばらく町中を走り回った後、
ホテルへと戻ったのだった。時間はまだ4時を過ぎたばかり。勿論、お日様
は、まだまだ元気だった。となればプールしかないな。他にすることは何も
ないし、2階だった部屋は、ドアを開けるとプールサイドに直結している
構造になっていたのだから。これじゃぁ黒くもなるわいな。
3時間ぐらいプールにいて、泳いだり、焼いたりして過ごした。流石に疲れ
を感じて、8時前に部屋に戻った。腹も減ってたしね。でも、あれれ、
何だかちょっと変だぞ。寒気がする。一気に焼き過ぎて皮膚呼吸が出来無く
なったからでも無いみたいだし。きっと腹が減ってるだけだと勝手に思い
込んでたらふく食べたが一行に復活の気配がないどころか、逆に辛くなる。
うぅむ、いかん。明日はバラデロ行きだというのにぃぃ。バラデロと言えば、
ビーチ。カリブ海と、太陽と、おねぇちゃんがぁぁぁ....
と考えているうちに、また早々と寝入ってしまったのであった。
4日目おしまい
愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 5日目
復活を祈っておとなしく寝たのであったが、起きても依然ダルい。-_-
特にどこがどうという感じではないのだが、とにかくダルいのだ。
それでも、飯を食えば直るのではないかとという単純な発想で、
又もや馬鹿食いをするが、そんなもので直る訳はないのであった。
今日はバラデロへの日帰りツアー。ということは、1日中太陽の下に
いることになる。今の体調ではとても耐えられそうにも無い。行きたい
のはやまやまだが、行ってぶっ倒れてしまっては楽しいはずも無い。
ということで、ひとり悲しくみんなのバスを見送ったのであった。 ;_;
行ってしまったんだから、今更どうしようもない。明日はハバナに
移動だし、あっちでも動けないようではホントに何してるんだか分から
ないので、何としても今日中に復活しなければ。と、そこで売店の棚を
思い出した。「確かハバナクラブがあったよなぁ〜♪」
まだダルかったハズだが、部屋を出て売店に向かう。心無しか足取りが
軽やかだったかも知れない。 ^^ゞ おぉっ、あった、あった。3年ものと
5年ものが。えぇっ!3年もので、US$5.57、5年ものでも、
US$6.45。や、安い!! 迷わずに5年ものを1本掴む。それと
コーラを2本。残念ながら、TORORICOLA は無かったが(これで3年ものと
割るのがホントのクーバ・リブレだという話しだったので)、RCという
MADE IN CANADA というのがあった。流石に COCA COLA は無いな。 ^^ゞ
コーラは高い。1本がUS$1。
戦利品を抱えて、部屋へ戻る。来る途中にサンフランシスコで仕入れた
強力だというコピーのアスピリンを肴に、クーバ・リブレを飲む。
どれぐらい飲んだんだろうか? そのまま寝てしまったようで、起きたら
夕方だった。ベッドサイドの机の上には、ほぼ空になった瓶があった...
体調はすっかり元気してた。やっぱりクーバでも、酒は百薬の長だった。
もっと早く気が付いていれば、今ごろバラデロで....
でも、元気になったんで、もう部屋にいる必要もない。(ヲイヲイ、
ホントかよ?) まだ充分に陽も高いので、プールだっ!!
プールに出てみると、別のツアーの子供達が5、6人ボールを投げて
遊んでいるだけだった。しばらく一人で泳いだりしていたのだが、
いつの間にか子供達に交ざってボール投げをしていたのであった。 ^^ゞ
そのうちに、彼等の親達もプールに出てきて、一緒になって遊んでいた。
父親達は子供の相手に飽きたのか、一人づつ子供をプールから出し始める。
ん?と思っていると、一杯賭けてバレーボールをしようということだった
のだ。(そのプールには、正にその為にネットが設置されていた。)
丁度人数が半端だったのかどうだか、一緒に勝負することになったようだ。
でも、言葉が分からないのでルールも何も分からないまま、ゲームは突如
始まった。自分のところに来たボールを返すしか芸が無かったのだが、
どうやらこっちのチームが勝ったらしい。 \\(;^◇^;)//
プールサイドのバーで、祝杯をあげて盛り上がっている頃に、バラデロ
からのバスが帰ってきた。ツアーのメンバーがこっちに気が付いて不思議
そうな顔をしていた。そりゃそうなのだ、朝出発の時には体調が悪くて、
泣く泣くバラデロを断念していた奴が、帰ってきたらプールサイドで水着で
酒盛りしてるんだから。当人だって、まさかこんな展開になるとは思っても
いなかったんだよぉぉ〜。
YUMURIでの最後の夜は盛り上りながら耽けて行ったのであった。
5日目おしまい
愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 6日目
ついに、今日は LA HAVANA へ行く日。朝からワクワクしっぱなし。
でも、相変わらず出発の時間を知らなかったので、朝食のあとで、
懲りもせずにフロントで聞くが、はっきりとした答えはない。
「とりあえず」10時ってので、その時間に合わせて準備する。
10時少し前に部屋を出たが、まだバスすら到着していない。*^^*/
大体やっと起き出したように、朝食にレストランへと向かっている
ツアーのメンバー達がいるぐらいだった.....
そこで気が付けば良かったのだが、頭の中は既にハバナに飛んでいたので、
冷房がある部屋に戻って待てば良かったものを、クソ暑いところで、
例のごとくロッキングチェアーを引っ張り出してきて待つことにした。
(実は、あの座り心地がとても気に入っていたのだった。 (^^) )
待つ、待つ、待つ。その間誰も出発する気配どころか、人影すら見えない。
いい加減にしびれを切らした頃にようやくバスが到着。この時点で、
もう正午になろうとしていた。(2時間も待ってる奴も待っている奴だが)
バスを降りてきた運ちゃんを捕まえると、「これから昼食を食べるから、
出発はその後じゃないか?」というとってもラテンなお答え!!
暑さで、少しまともに戻った頭で考えて、涼しい部屋で待つことにした。
きっと少なくてもあと1時間ぐらいは待つのだろうとの勝手な憶測。
1時過ぎに部屋を出ると、既にツアーのメンバー達は出発の準備を整えて、
バスに乗り込んでいるところだった。「こいつら実は裏で示し合せていたん
じゃないの?」と思わず疑ってしまったほどの見事なまでの協調性だった。
それからしばらくして ^^ゞ ようやく出発!! 実に最初に聞いた出発の
時間から3時間半が過ぎていた。。。。 \\(;^◇^;)//
途中1ヶ所風光明眉な場所で小休止して、バスは3日前に来たのと同じ道を
ひたすらハバナに向かっていた。それでも行きはクーバに着いたばかりでも
あり、それなりに景色を眺めたりもしていたが、流石に帰りは辛かった。
一番後ろの方に座っていたのだが、すぐ前の夫婦が彼等の隣に座っていた
大学生の男の子JORGE(ホルヘ)と私に、袋に詰め込んで持っていた
マンゴを一つずつ分けてくれた。手と口をペタペタにしながら食べている
うちに、ホルヘと親しくなり、その後この旅が一層楽しくなったのだった。
余談
そういえば、クーバやメヒコでは果物がとにかく安い。しかも、この時
もらったマンゴは、YUMURIのホテルの木になっていたものだそうで、
要するにタダなのだ。日本では1個で何100円もするというのに....
で、このことを彼等に言うと必ず驚くのであった。そして、言う。
「金持ちでないと絶対に日本には行けないな。」って。
日本と比べると、何でもとにかく安いのだが、特に果物は断トツ安い。
ようやくハバナに着いた。ホテルが PANAMERICANA ということだけは事前に
知っていた。でも、バスは止まったがどこにもそんな看板など出ていない。
それよりも、団地という感じのする一角の様な場所だった。
(後で知ったが、そこは VILLA PANAMERICAN と言われているところで、
昔パンアメリカン選手権が行われた時の選手村として作られたそうだ。
だから、今でも世界各国から合宿などで運動選手達が訪れているそうだ。
そして、勿論観光客用のホテルとしても使われているが、一部はクーバ人
の為の住居としても使われているのだった。)
とにかくチェックインをしようとしたが、様子がおかしい。同行のメキシコ
人達が、フロントの人間と大きな声で問答していた。ん? どうせスペイン
語がわかる訳じゃないし、彼等に任せておけば何とかしてくれるだろう。
こっちはちゃんとホテルのバウチャーを持っているのだから。ところが、
それが甘かった!!
待っている間に、フロントの向いにあったツーリストデスクで今晩あの
「トロピカーナ」に行く予約をしたり、「ハバタンパ」が参加するフェス
ティバルも行われるというサンチャゴ・デ・クーバにも行ってみたかった
ので、日帰りか1泊2日ぐらいのツアーのことなどを聞いたりしていた。
(結局、サンチャゴ行きのツアーは無くて、行けなかったのだが... ;_; )
それから、売店に行ってミネラルウォーターを買うことも忘れなかった。
(また、SHOHさんの事を思い出したのは言うまでもない。 =^^= )
それでも、まだトラブルは続いていた。もう1時間も経つというのに。
そこで、仲良くなったホルヘに何がどうしたのかを聞いてみた。(彼は
学校で英語を習っていたので、お互い意思の疎通は充分に出来たのだ。)
「部屋が少し足りないらしい。」とホルヘ。「えぇっ! そ、そんなぁ。」
しかし、更に良く聞くとどうやらそれは当り前のことのようだった。
というのは、ここは元選手村であり、ひとつの部屋は3LDKのマンションの
様になっていて、共通の居間とキッチンとシャワー、そしてツインベッドの
部屋が3室という構成になっているらしかった。だからホルヘみたいに
家族5人(両親と、兄とそのガールフレンド)で来ている分にはそんなに
不便ではないのだが、多くは夫婦で来ているために、他人とシェアする
ことになる可能性があるということらしかった。
だから、ホルヘの家族はチェックインが済んでいたのだが、彼の父親の
カルロスは世話好きな性格らしく、その後も調整などをしていたのだった。
そして、結局は、やはり一人で参加していたメキシコ人男性ハビエルと、
二人でシェアすることで、決着が着いた。カルロスが了承してくれるかと
すまなそうに聞いてきたのだが、いつもドミトリーを利用している私には
一向に問題はなかった。「NO PROBLEM!」ですべては終わった。
やっとチェックイン出来る、と思ったのは甘かった。既に6時を過ぎていて、
8時に出発するという今晩の「トロピカーナ」には間に合いそうもにない。
だって、これから夕食を食べて、シャワー浴びてそれなりの服装に着替えて
などとするには2時間弱は少ないと考えてしまった頭の中身はすっかり
ラテンであった。 \\(;^◇^;)//
仕方無くツアーデスクでチェックインが遅れたから今日は行けないんで、
明日にしてくれと説明し、処理をしてもらってようやく部屋にたどり着いた。
とにかく荷物を置いて、飯じゃぁ〜。腹が減って既に半分以上人間では
なくなっていたのだった。(とっても危険な状態!)
チェックインした時に聞いたとおり、レストランは同じ建物にはなくて、
道路を隔てた向かいの HOTEL PANAMERICANA の2階にあり、朝食は朝7時
から10時、夕食は夜7時から10時でYUMURIと同じく、ビュッフェ
スタイルの食べ放題ということは知っていたが、フライング覚悟ですぐに
部屋を出てレストランへと向かった。すると、フロントのところでカルロス
一家と会った。ツアーデスクで何やら聞いているところだった。激腹減りの
状態ではあったが、どうせまだ時間は早いし、大勢で食べた方が旨いので、
ホルヘやミゲール(兄)そしてエリエッタ(ミゲールのガールフレンド)と
話して待っていた。ミゲールとエリエッタもやはり学校で習ったとかで、
英語を話すことが出来たのだ。(嬉しいなぁ〜♪) こんなことがあって、
カルロス家の人々は事有るごとにいろいろと面倒を見てくれたのであった。
メキシコ流に1時間ほどかけて、彼等と共に食事をした。献立は、とても
物不足のクーバを感じさせないほど贅沢なものだった。やっぱり観光客向け
は特別なのだということを痛感してしまった。
HOTEL PANAMERICANA には大きなプールがあり、レストランから部屋に帰る
にはそのわきを通るのだが、その時にカルロスが「今晩このプールサイドで
ファッションショーがあるから、一緒に来てみないか?」と誘ってくれた。
どうせ「トロピカーナ」は延期してしまったので、予定は何もなかった。
まさに『渡りに船』だった。(表現が古いなぁ〜 ^^ゞ )
約束の10時までまだ時間があったので、とりあえずシャワーを浴びたり、
洗濯などをした。風呂上がり(?)には、YUMURIから抱えてきた
「ハバナクラブ5年」と、さっきミネラルウォーターと一緒に買ったコーラ
(コカコーラだった!)とで作った「クーバリブレ」が最高だった♪
10時にフロントに降りて行った。そこにはカルロスとホルヘ、そして、
彼女の15才の誕生日を祝って(女の子は15才をもって、ようやく
セニョリータ呼ばれるそうだ。日本の成人式って感じかな?)両親と来て
いたマリアと、母親と彼女の友達とプエブラから来という大学で会計学を
勉強しているお嬢様のサンディの4人がいた。(その時に初めて彼女らの
名前を知ったのだから、他のことは全然知らなかったのは言うまでもない)
そんな奇妙な一行がプールサイドに向かったが、ショーを行っている気配は
全然無かった。どうみても単なるバーだった。カルロスが注文を取りに来た
ボーイに聞いてみたら、ショーは明日らしい。それではここにいても仕方が
無いということで、レストランの1Fにあったというディスコに行くことに
した。(メキシコ人の変わり身の早さには、実に感心してしまう!)
入場料US$5を支払い、一行5名は突入した。音と空気は最悪であったが、
時間も良かったのか結構盛り上がっていた。マリアとホルヘ、サンディと私
の即席カップルで踊る、踊る。保護者的立場のつもりだったのか、1時間も
経たないうちにカルロスは部屋へ帰った。それでも、充分に彼は一人で盛り
盛り上がっていた様に見えたけど... *^o^*/
我々4人は、ほとんど休む間も無く踊り続けた。みんな昼間は、バスの中で
充分睡眠を取っていたせいか、元気だった。流石に15才のマリアに疲れが
見えて来たのは2時を過ぎた頃だった。それでも更にしばらく踊り、結局
部屋に戻ったのは3時前だった。その時にはまさかこのメンバーで、ハバナ
での4泊の間、毎晩踊り明かすとは誰も思っていなかったに違いない。
6日目おしまい
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