横浜・大船 込江保次税理士事務所

総天然色旅行記
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写真集 NEW!
Frente Pinguinista

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ/その3

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 7日目

 起きると9時半! 朝食のビュッフェは10時まで。慌ててレストランへ
 走った。着いてみると、やっぱりメキシコ人。まだみんなのんびりと食べて
 いる。いや、私よりも更に後に来ているつわものもいた。強いっ!!
 別に、他で朝食を食べても良いのだが、ビュッフェで朝晩たらふく食べれば、
 最悪昼食を食べなくても生きて行けるというさもしい貧乏根性を持っている
 ので、何としても食べなければならなかった。時間ギリギリだというのに、
 まだまだ食堂からは料理が運ばれている。嬉しいことではあるが、一体どう
 なっているんだろうという不安も同時にあった。物不足はどうなったんだぁ?

 何はともあれ満腹になったので、カフェ・コン・レチェ(これも飲み放題)
 を飲みながら、くつろぎつつ一緒に食事をしたツアーのメンバー達に今日の
 彼等の予定を聞いてみた。彼等は、ホテル主催のハバナ市内半日観光に行く
 のだそうだ。(US$10) 確かに、時間的にも効率良くおいしいところを
 見ることは出来るし、値段的にも高くは無い。でも、もう団体行動は勘弁と
 いうところだったので、彼等の誘いを丁寧に断わり昨日調べておいたレンタ
 バイク屋へと向かった。何故かバイクは体育館の中で貸しているのだった!

 まず値段を聞くと1時間US$6で、1日(9時〜18時)US$30。
 既に10時を過ぎているが、それでも1日で借りた方が有利だと思ったので、
 1日で借りることにして、押えておき一度部屋へ戻った。シャワーだけを
 速攻で浴びて戻ってきて、そこで初めて現物を見た。バイクの形自体は別に
 悪くはなかったのだが、スピードメーターもイグニッションキーも何も無い!
 エンジンはキックペダルだけであっさりとかかってしまう。ってことは、
 バイクを置いて観光なんて出来ないってことぉ? ヲイヲイヲイ。
 で、一応確認してみたが、あっさりと認めてくれた。\\(;^◇^;)//
 「盗まれないように、絶対にバイクから目を離すなよ」って、それじゃぁ
 どうやって市内観光するんだよぉ〜〜。東欧に行ったときは、夜行電車で
 寝ている間に荷物を盗まれないようにと、自転車用のチェーンキーを持って
 行ったのだが、流石に今回は持ってこなかった。(ま、「普通」だね。)
 ちょっとバイクを借りたことを後悔した。みんなと一緒にツアーで回れば
 よかったかなぁ〜。

 更に、ガソリンは3リットル満タンにしてくれたのだが、それだけでも
 150kmぐらい走るだろうとのことだったが、土地勘も無いし、距離計も
 付いて無いので、エンジンが止まったときがガスが無くなった時と知る以外に
 方法など無かった。クーバのガソリン事情って。。。 ;;^◇^;; タラタラ..
 またもや、バイクを借りたことを後悔してしまった。この調子ではまだまだ
 後悔させられる機会がありそうだ...

 と固まっていてもしょうがなかったので、とにかく出発することにした。
 貸してくれたおにぃちゃんに聞いたとおりの道を旧ハバナ市街へと向かった。
 片道3車線の長い直線の道を全開で飛ばす。(と言ってもせいぜい60km
 /hぐらいしか出ていないと思うけど。) 右手にはずっとカリブ海が。
 気分は最高!! しばらく走ると料金所の様なものが見えてきた。でも、
 他の車も止まらないので、そのまま通りすぎようとすると、警官に止められた。
 えぇぇっ!! ちょ、ちょっと待ってよ。何か悪いことしたぁ?

 「この先は通れない」との冷たいお言葉。「何で?」「バイクは駄目なの」
 「じゃぁ、どうやってハバナに行けば良いの?」「ハバナ港をまわって行く
 しかないな。」というやり取りがあった。実は、その先にあるハバナ市街へと
 つながる海底トンネルは、自動車かサイドカー付きのバイクでないと通行禁止
 なのだそうだ。そのとき持っていたプアーな地図で見ても、港をまわったの
 では、凄く遠い。警官によると1時間はかからないだろうとあっさりしたもの。
 このとき、またまたバイクを借りたことを後悔したのだった。えぇ〜ん。 ;_;

 警官に何度も確認しながらハバナへの道順を聞き、何とか分かった気になった。
 そういえば、バイク貸しのおにぃちゃんも同じ様な道路名を言っていたような
 気がしてきた。もしかして語学力が無いってだけ?  \(^_\) (/_^)/

 ついさっきは快適に飛ばしてきた道を今はチト寂しさを感じながら、ホテルへ
 戻り、そこから教えられた港まわりの道へと右折したのであった。しかし、
 この道は対面通行でところどころ未舗装部分もあるし、住人達の自転車と、
 大型のダンプカーやトレーラーがバンバンと走っているので、とても走りに
 くい道だった。それでもガンガンと走り、何とかハバナ市街へ到着したようだ
 と方向案内板や街の様子で感じた。では、まずどこへ向かうか? 全然何も
 考えていないでバイクを走らせていたことがバレてしまった。 ^^ゞ

 道端にバイクを止めて、しばし地図と睨めっこ。決めた! フエルサ要塞!!
 単に海岸に面しているので見つけやすいだろうというだけの理由だった。(^^/
 でも、案外と難しい。モロに港町の雰囲気を醸し出している付近に入ると、
 細かい道路が多く、人も車も更に多くなったのでどの道が正解か分からない。
 道行く人達の助けを借りながらようやくフエルサ要塞にたどり着いたのは、
 警官に止められてから1時間が経過しようとする頃だった。

 さて、見学でもと思ったが、辺りには観光客にたむろしている現地の少年達が
 いっぱいいた。やっぱりバイクを置いておくことなどとても出来るわけない。
 仕方無く形の割りには重たいバイクを押して、フエルサ要塞の中に入ろうと
 したが、案の定入口で止められてしまった。「バイク置場はあっちだよ」。
 それはわかったけど、でもねぇ。。。 で、結局見学を諦めることに。 ;_;

 鍵が無いと知った時点で、こんな展開は想像できていたが、やっぱりねぇ。
 でも、もう後戻りは出来ない。こうなったらバイクを借りなければ行けない
 ようなところまで行ってみようと思い、ハバナ市街から海沿いにひたすら
 西へと向かうことにした。勿論目的地など無いし、地図すら持ってない。^^/

 新ハバナ市街のホテル群を越えると、またまた海底トンネルらしき入口が。
 今度は学習効果で直前で側道によけ、前方の自転車に付いて行く。右、左と
 まがって、橋を渡り、またうねうねと狭い道を抜けると、トンネルの出口を
 発見。今度は勝った! しかし辺りの雰囲気は一転して、高級住宅地の様相。
 道自体もちょっと海沿いから外れてきたようだ。でも、おもしろそうに思えて
 そのまま走ると、今まで民家だと思っていたところの多くは旗が掲げてある。
 ん? 見なれない旗だけど、もしかするとどこかの国旗では? そうそこは、
 クーバにある各国大使館が集まっているところであった。どうりで高級な
 雰囲気がしたわけだ。

 さらにバイクは走る。が、やっぱり海岸沿いに出た方が気持ちもよかろうと、
 右折して一番海沿いの道まで行き、そこから再度西へと向かうと、またまた
 ホテル群が見えてきた。どうやらここいらがミラマー地区のようだ。ハバナ
 市街と比べると建物も新しそうだった。その先には海水浴場があり、観光客
 や現地の人達で賑わっていた。更に更にバイクは西へ。突如片側2車線の道
 と合流した。どうやら、さっき走っていた大使館のところの道に戻ったよう
 である。それでもまだ懲りずに西へと向かった。 ^^ゞ

 サドルにすれて尻が痛くなってきた頃、道路脇の看板が見えた。「マリーナ・
 ヘミングウェイ」! 何だろう? でも、ヘミングウェイは興味があったし、
 このまま目的地も無く引き返してしまうよりは、とにかくそこまで行こうと
 いうことになった。(誰と決めたんだぁ?) そこからは近く、5分と走ら
 ないで、右手に大きな入口と看板を見つけることが出来た。一瞬軍関係の
 設備かと思ってしまうように、入口には警備員がいて、何やら検問している
 様子だったが、何のおとがめも無くあっさりと中に入れた。観光客の出入りは
 問題がないようだ。

 中に入ると左手にはA〜Dデッキがあり、大きなヨットというか、ほとんど
 小型客船に近いものまで停泊していた。まさに、「マリーナ」であった。
 更に奥へと進むと、海に面してきれいなホテルがあった。ミラマー地区の
 ホテルよりも更に新しく作られたもののようだ。その防波堤から見ると、
 ハバナ地区の建物が遥か向こうに見えた。さすがにここまで来ると観光客の
 姿も見えないし、入口でチェックしているからか、現地の人達の姿も無い。
 「よ、ようやくバイクから手が離せる!」 エンジンを切り、スタンドを
 立てて、防波堤の上に寝転がった瞬間に、背中に激痛が!! 余りの暑さで
 ハバナを出るときにTシャツを脱いで、上半身裸でバイクに乗っていたので、
 思いっきり焼けていたのだった。YUMURIとはちがいハバナの日差しは
 とても強かったと今更気がついても既に遅かった。 ;_;

 こうなっては日向になんぞいられない。日陰、日陰と探すがそんなもの無い。
 ようやくデッキの途中にバーがあるのを発見し、緊急避難。時間も昼をとっく
 に過ぎていたので昼食に、ビールを飲む。と、飲んでいるうちに今度は鼻血
 が。しかも止まらない。な、なんでぇ? ボーイのにぃちゃんにもらった
 食事用のナプキンを鼻に詰め込みながらビールを飲むのは実に惨めじゃぁ。

 それでもおかわりをしてビールを飲んでいた頃に鼻血も止まり、気分良く
 走り出すことにした。(単にアルコールで気分が良かっただけかもね。)
 偶然とは言え、ヘミングウェイにゆかりの地に来れたことで次の目的地は
 あっさりと決った。コヒマルに行こう! でも、コヒマルってどこ?
 曖昧な記憶ではハバナ寄りも東、ってことはとりあえず又港をまわって、
 ホテルの方へ帰って行く途中で聞けばいいんだなとビールの影響もあってか、
 更にいい加減を極める。

 走る、走る、東へ走る。片側2車線の道路をバンバンと走る。道路標識の
 「LA HAVANA」を目印に、真っ直ぐに進む。途中例のトンネルが
 あったが、又も自転車に先導してもらって橋を渡ると、新市街のホテルが
 見えてきた。「ありゃぁ、結構早かったわい。」と思うのと同時に、
 「コッペリア・アイスクリーム」を思い出したのは、やっぱり相当食い意地が
 張っているのだろうか? でも、思い立ったが吉日♪ バイクを止めて、
 道行くおねぇさんに尋ねる。やっぱりアイスクリーム屋ならばおねぇさんが
 詳しいでしょ? でも、結構遠いらしく、なかなか説明するのが大変らしい。
 (こちらの語学力も無いしね。;_; ) 結局、その後途中で2人に聞きいて、
 何とか到着ぅ〜!! おぉっ、噂に違わず並んでる。と言ってもクーバ人用と
 観光客用で列が別で、観光客用は誰もいなかったけど。しかし、ここでも
 バイクが邪魔をした! 買いに行こうとしたらば、制服を着た警備員(警官?)
 に止められてしまった。「バイク置場はあっち!」 それはわかってるん
 だってばぁ。結局バイクを置けない為に泣く泣くアイスクリームを諦めた。
 あぁ、ホントに悲しいなぁ〜。 ;;;_;;; ← 号泣
 ところで、コッペリアってここの公園の名前だったのね。

 でも、そこですぐに次のことに昇華してしまうのが、移り気な Kong! だった。
 次なる目的地は、クーバのシンボル(?)「ホセ・マルティ像」。アイスク
 リームの列に並んでいたおじさんに聞くと、また結構遠いみたいな感じ。
 ハバナって随分と大きい街なんだってことをこの辺りでようやく認識する。
 またも、途中で2度ほど聞いて、到着! 観光客を乗せたバスも何台か
 止まっている。おぉ、こりゃぁ、凄い。しかも、向い合うようにして、
 神様チェ・ゲバラの大きな肖像もあるではないか。うぅん、来てよかったぁ♪
 感激しつつも、そそくさとカメラを取り出して、シャッターを切るのは
 やはり日本人観光客の悲しい性なのであった。 ^^ゞ

 ここでようやく寄り道(?)を止めて、コヒマルを目指すことにした。
 とっくに背中が痛くてとてもTシャツなど着られない状態なので、更に焼ける。
 ハンドルを持つ両手は、上側の部分だけが真っ赤。皮が突っ張ってる!!
 今更どうすることも出来ないので、また港をまわる道を今度は東に向かった。
 途中で2、3度コヒマルへの行き方を尋ねたが、何やら雰囲気が怪しい。
 みんな PANAMERICANA の方へ行けと教えてくれる。はて、はて? それでは、
 と素直にホテルの方へとひた走り、ホテルへと曲るところで再度聞いた。
 すると、「あっち」とホテルの方を指す。ん? でも、ホテルって幹線道路
 からちょっと入ったところにあって、その先って何も無いんじゃないの?
 だって、建物が無くなるといきなり道路の舗装まで無くなるんだよぉ。
 でも、ここまで言われては仕方無いので、結局ホテルまで戻ってきてしまった。
 そして、止まっていたタクシーの運ちゃんに聞くと、「あぁ、近いよ。
 あっちの方へ行きな。」と未舗装の道路の先を指す。や、やっぱり。
 か弱いバイクで未舗装路を行くと、すぐに舗装された道になった。しかし、
 辺りは住宅地。しかも、丘の上という感じで、とても漁港の雰囲気は無い。
 もう一度歩いていた人に聞くと、「突き当りを左折して真っ直ぐ」とのこと。
 言われた通り左折すると急な下り坂で、しかも道の向こうのはずれは海!
 下りきると、海が開けて、突き出したところには要塞があった。右手の奥に
 は、きれいな海岸が広がっている。「おぉっ、これは美しい!!」

 と感激も束の間、もう身体がほとんど限界だった。冷やしたいよぉ〜。 ;_;
 要塞の向かいにあったヘミングウェイの胸像を写真に収めて(しっかりと
 日本人していますねぇ。 ^^ゞ )、ホテルへとバイクを走らせたのであった。
 朝からここに来て、1日のんびりしているのって最高だろうなぁって思った
 けれども、既にこんなに日焼けしている状態では、とても無理な願望だった。

 ホテルに戻り、体育館でバイクを返した。「調子はどうだった?」と聞くので、
 「鍵があれば最高だった」と苛めてみたが、全然意にかえすでも無い。まぁ、
 こっちも今更どうしてくれでもないからねぇ。そのおにぃちゃんは、残って
 いるはずのガソリンを抜こうと管を外すがほとんど出ない。借りてから5時間
 ちょっとで返したので、どんな乗り方をしたんだという風にこちらを見て、
 ニヤリとして、「ラッキーだったね!」と言う。こっちは妙に納得して、
 思わずうなずいてしまった。

 まだ時間は4時過ぎ。身体は暑い。部屋に戻って荷物を置いてプールにつかる
 ことにした。25mのコースと15mぐらいのコースがひとつになっている
 結構大きなプールだった。プールサイドには大勢人がいて、日光浴中だったが、
 こちとらそんなことをしていたらホントに動けなくなってしまう。体操もせず
 いきなり水の中へ。あぁ、極楽、極楽♪

 6時半に部屋へ戻って水でシャワーを浴びて休憩。ようやく焼けた背中も
 少し落ち着いたみたいだ。何とかシャツも着られるし。昨晩行けなかったので、
 今晩は「トロピカーナ」に行くのだった。さすがに、Tシャツに短パンでは
 NGのようで、唯一のシャツといわゆるイージーパンツを着るしかない。
 本当は寒さ対策で持ってきたのだが、役に立ったなぁ〜。 ^O^/

 夕食を終えた、指定された通りに、8時にフロントのツーリストデスクへ。
 あれれ? ひとりだけ? 送迎用のバスに乗り込むと、ガイドのおじさんが
 いた。英語で今晩の予定について説明してくれた。どうやら、これから旧市街
 のホテルの寄って7人乗せてからトロピカーナに向かうそうだ。そして、
 ショウが終わったら各人でこのバスを探して戻ってくるようにと。大体12時
 ぐらいには戻って来られるだろうという感じだった。で、バスは動き出し、
 説明通りにホテルを3つまわり7人を乗せた。最初はフランス人の夫婦。
 次はスペイン人の夫婦。そして、最後はドイツ人の3人組。驚いたことにその
 ガイド氏は、フランス語とドイツ語まで話せたのだった。す、凄過ぎる!

 などと感心しているうちにバスはどんどんと走る。昼間行った西の方へ
 向かっていると思ったが、結構内陸の方へも入り込んでいるようだった。
 そう、トロピカーナは、郊外にある野外のキャバレーなのである。そして、
 今までにも世界中の超メジャーな人達が出演していることで有名なのであった。
 と、そんなことは事前に知ってはいたのだが、それにしてもかなり不便な
 場所にあるようだ。

 ようやく到着して、バスから降りるとそこは本当にハイソな世界だった。
 来ている客層もそれなりの人達ばかりのようであった。昼間ハバナの街では、
 観光客の中はメキシコ人と思われる人達が目立つのだが、ここは西洋系の
 人達が目立っていた。やっぱりそういうところなのね。 ← ドウイウトコロダ!

 とにかく中に入った。席は3種類あって、バスの送迎込みでUS$60の
 ステージかぶり付きの場所と、US$35の会場の壁に沿った場所、そして
 その間のUS$50の場所だった。Kong! が選んだのはUS$50の所。
 結果としてはそれが正解! US$60の席は、超高いと言われるトロピ
 カーナで、シャンペンなどを注文して盛り上がっている人達も何組かいて、
 そこに入り込むのはチト辛かっただろうし、US$35の席はステージから
 遠い。しかしもUS$50の席は何故かこの夜は他に誰も客がいなくて、
 その中でも一番ステージに近い方へと勝手に移動することが出来たのだった。
 (基本的に席は指定されていて、本当はそこから動くことは出来ない。)

 9時半になりステージは始まった。舞台から、そしていろいろな所から、
 華やかな衣装を身に纏ったダンサー達が現れる。勿論、舞台上にはコーラス
 もいるし、舞台右手上には30名ほどのオーケストラがいる。こういう
 「ショウ」の世界は初体験だったので、とにかく見るもの聞くもの珍しい
 という、いわゆる「お登りさん状態」となっていた。 ^^ゞ

 別段説明が入るわけもなく、次々と曲が演奏され、それに合わせてダンサー
 達も着替えてきてステージの上で舞いを見せてくれる。曲風も、クラシック
 から、原住民のものと思われるものまでバラエティに富んでいた。それぞれ
 は素晴らしいのだろうが、全体として見たときには、山が感じられないよう
 に思えて、何となくしっくり来なかった。2度ほど途中で登場した、男性
 オペラ歌手の様な人の歌が一番印象に残ったが、時間的はとても短くて、
 非常に残念だった。あとで知ったことだが、通常ホテルにあるツーリスト
 デスクで予約すると最初のステージだけで帰ってしまうのだが、本当は
 その後の2ステージ目が断然良いということである。ただそれを見るためには
 タクシーで行くしか無いのかな?と思うが。それにしても、それを見を損ねた
 ことは後悔しきりである。多分、また近いうちにクーバに行く機会がある
 ようにも思えるし、楽しみはその時にとって置くのも悪くないかと、自分を
 慰めるのであった。

 そんなわけで、最初のステージを終えてバスに戻り、行きとは逆の順番で
 各ホテルをまわって、一番最後に PANAMERICANA に戻ってきた。すると、
 入口のところに既に見慣れた顔が。ん? どうしたの? もしかして、
 Kong! の帰りを待っていてくれたのかな? あ、違うの。でもいいや、
 とにかく偶然だったとは言え、会えたことは素晴らしい!ということで、
 2晩続けて DISCO PANAMERICANA に繰り出すことになったのだ。
 しかし、流石に今日はみんな昼間頑張って動きまわったみたいで、昨日の
 ようなパワーは感じられずに、早々の退散となったのであった。それでも、
 3時ぐらいだったけれどもね。 ^^ゞ

 とっても長い1日でした。ではおやすみなさい。ZZzz..
                           7日目おしまい

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 8日目

 昨日の失敗を取替すべく、今日は自分の足でハバナを歩こくことにした。
 いつものごとくに、慌てて食べ放題の朝食を取り、そのまま部屋に戻らず
 ホテルのロータリー近辺に止まっている一般車に声をかけて連れていって
 もらおうという、いわゆるヒッチハイクという貧乏旅行の常套作戦でいく
 ことにしていた。タクシーの相場はモロ要塞まで海底トンネルを利用して
 US$5〜7ぐらいだと前日フロントから聞いていたので、目標はその半額。
 一番近くにいたクルマには丁度若い男がヒマそうに運転席に座っていた。
 「ハバナ市街に行きたいんだけど、連れてってくれない?」
 「いくら?」
 「US$2」
 「US$3ならいいよ」
 「OK!」
 という会話を何とかスペイン語でして、無事交渉成立。全然目的地を決めて
 いなかったので、昨日最初に行ったフエルサ要塞から今日1日を始めること
 にした。昨日は通れなかった海底トンネルを通り、無事到着。簡単過ぎる!

 何はともあれ昨日はバイクがあったので見学出来なかった要塞に登ってみた。
 1Fはちょっとした博物館みたいになっていて、多くの美術品が展示されて
 いた。かなり興味深く見入ってしまった。それに比べると肝心の要塞の上は
 レストランがあってすっかり観光客相手のものとなっていた。勿論、要塞と
 言うぐらいだから、そこからの港の眺めは素晴らしかったのだが、ちょっと
 残念。

 要塞を後にして、目の前のアルマス広場に行くと大量の古本を売っている。
 ここで元文学少年はスペイン語の「老人と海」探しモードに突入したので
 あった。一応売子のおじちゃん達がいるのだが、こちらの話しなど聞かずに
 自分達が売りたいものをそれぞれ持ってきてしゃべるだけしゃべる。しかも、
 当り前だがスペイン語。「やっぱりここはハバナだなぁ」って妙に感心して
 しまった。それでも何とか発見して、値段を聞くとUS$4。えぇっ!と
 思ったが、大勢のおっちゃん相手に交渉するパワーは朝イチからは無かった。
 おとなしく言い値で買ったが、あとで裏表紙を良く見たら Precio:70cts.
 と書いてあった。古本になって価値が上がるわけないよなぁ〜。やられたっ!

 お次はこの近所にあるという casa de RON。ラム博物館だそうで、ここでは
 「ハバナクラブ25年」という超大物購入を目論む。近くにいた子供に聞くと
 あっさりと教えてくれた。ホントに広場のすぐ裏だった。でも、入口には
 警官の姿が。近寄るとあちらも寄ってくる。「酒を買いたい」と言うと、
 スペイン語で何やら説明してくれた。何やら怪しげな雰囲気。そうこうして
 いると店から店主らしき男が出てくるが、すぐに警官が間に入った。どうやら
 この店主がやばい人間らしい。警官もこちらがスペイン語を理解できないと
 わかったようで、とにかくあっちに行けと指で示すがここまで来ておとなしく
 帰るわけがないのであった。警官の肩越しに店主に「ハバナクラブ25年」は
 いくらか聞いてみた。中に入ったがまたすぐに出てきた。「US$150」
 ひぇ〜! 予想以上に高い。警官がいる前でボルとは思わないけどなぁ。
 しかし、いくら欲しくても即決できる額ではなかったので、まだ早く帰れと
 指で示す警官を利用してひとまず退散することにした。 (*^o^*)

 さてお次はどこに行こう?とすっかり観光客モードしていたので、無防備にも
 ハバナ市街の地図を広げてみるのであった。カテドラルが近いなぁ。その前に
 も広場があるみたいだし、何かあるかも知れないとこの辺りは既にノリも軽い。
 3ブロック程歩いて到着。アルマス広場よりもこっちの方が「街のへそ」という
 感じがした。カテドラル自体もかなり古い建物のようでとても良い雰囲気を
 出していた。広場のカテドラルの正面に museo de arte colonial というのを
 見つけた。何やら民俗的な匂いを感じて入ってみることにする。入口には、
 おばちゃんが3人。US$で料金を払うとそのうちの一人がついてきた。もし
 かして、説明するから金をくれっていのかなぁ?と勘ぐっていると案の定英語
 で話しかけてくる。でも、ちょっと違ったみたい。英語を忘れないようために、
 使いたいとのこと。だから邪魔で無ければ案内させてくれとは、まさに渡りに
 舟だった。勿論無料でいいよとのこと。しかも、彼女は、元トロピカーナの
 ダンサーだったと言っている。ん?ホントぉ?それだけは怪しいなぁと思った。
 でも、1時間弱の間植民地時代の金持ちの家だったという博物館の中を全部
 案内してくれ、当時の生活のことなどもいろいろと教えてくれた。そんな彼女
 との会話で最高だったのは、こちらが日本人だとわかると、多少興奮した感じ
 で、Oshin を見たか?と聞く。何のことだかわからないでいると、説明して
 くれた。そう、キューバでは丁度TVであの「おしん」がすごく人気があった
 のだ。それで、いろいろと番組の内容を話してくれるのだが、生憎こちらは
 見たことがない。その時だけはとても残念そうな顔をしたおばちゃんだった。
 ごめんねぇ〜。

 博物館を出たら、喉が乾いた。半ブロックのところにあのヘミングウェイで
 有名な la bodeguita del medio がある。ここまで来て行かないハズはない。
 店の前はクルマ1台がやっと通れるほどの狭い道路なのだが、観光客とみやげ
 を売る人達でごったがえしていた。思わず中に入るのもためらってしまうほど。
 というのは、中の混雑は更に凄いし、エアコンなどある気配もなかったのだ。
 しかし意を決して突入。最初は混雑を避けて奥の方へ侵入してみた。壁1面は
 噂通りの落書。そして、一番奥にはチェ・ゲバラの肖像が。奥はレストランに
 なっているのだが、そろそろ昼12時になるというのに客はまばらだった。
 さて、入口脇のカウンターに戻ってみると、落書の方も最高潮。誰がどうやっ
 てこれだけ書いたんだぁってぐらいに高くて手の届かない場所までびっしり。
 などと感慨に浸りながらも、しっかりと名物 mojitos を注文したのは言うまで
 もないことだった。(US$3)

 とりあえず喉の乾きも癒えてアルコールも入ったので、もう少し歩いてから
 昼飯にしようと思い、人混みのメイン通りを避けて、ちょっとヤバそうな気配
 も少し感じる裏通りをブラつきながら museo de la revolucion に向かった。
 元大統領官邸という建物は流石に立派。入口で入場料を払い、荷物を預けさせ
 られて見学。最上階から順に降りながら見学できる構造になっているので、
 見逃したりなどすることは無いが、途中で疲れたから出ようっていう時には
 不便だなぁと思ってしまった。と言うのは、ここにはキューバ革命史の全てが
 納められているわけで、それはそれは膨大なものなのだ。歩きながら興味を
 惹かれたものをポツポツと見ただけでも、1時間では出てくることなど出来な
 かったぐらいだった。(本人は結構流したつもりだったけれども、しっかりと
 見ていたものも多かったのかも知れない。) 実はここで1つ失敗をしたのだ。
 入口に預けた荷物(小さいバッグ)の中に何も考えず金も置いてきてしまった
 ので、別室で別料金となっていたチェ・ゲバラに関する展示の部分を見ること
 が出来なかったのだ。あぁ、残念。

 見学し終えたら今度は完全に水分不足。その上腹も減った。時間はとっくに
 昼を過ぎているのだから当然と言えば当然だが。本日の昼食は最初から決めて
 いた。そう、これもヘミングウェイゆかりの el floridita である。途中で
 memorial granma の戦車、飛行機、ヨットを見つつ Ave. de Belgica を南下
 した。昨日バイクで通過したときは観光バスが横付けにされていて、大勢の
 観光客で賑わっていたのだが、今は昼食時をはずれているからか、店内に入っ
 ても空いていた。席は迷わず入って一番左手奥のカウンターに。そう、この
 一番奥は鎖がかけてあり、今は使用できなくなっている席があり、あのパパ・
 ヘミングウェイが常に座っていた場所だ。そして、注文するのは、勿論、
 パパ・ヘミングウェイ。通常のダイキリの砂糖抜きというパパのお気に入り
 だったカクテルだ。うぅ〜ん、完全にミーハー観光客モードだなぁ〜。 ^^ゞ
 ついでにハムのサンドウィッチを頼み昼食としたのだが、これが大正解。
 かつて世界中でも高く評価された店だし、勿論今でも高級感が漂っているが、
 カウンター席での飲食代は、もしかすると他のレストランなどよりも安いの
 ではと思えるほど。合わせてUS$10でお釣りが来た。バーテンには非常に
 興味はあるし、エアコンが効いていて涼しいし、内層も店員も落ち着いた雰囲
 気を作っていたので、ついついもう一杯頼んで長居してしまう。その間には、
 カウンター内で作られるカクテル達のレシピの研究も怠りなかったのは当然か。

 名残り惜しくもまた明日も来ようと自分に言い聞かせてようやく店を出ると、
 空模様が怪しい。と思っている間も無く、雨が降ってきた。それも大つぶのが
 勢い良く。あわてて近くにあった hotel inglaterra に逃げ込む。確か5つ星
 の最高級ホテルだったから、雨がやむまでいても何とかなるだろうと思ったが
 甘かった。確かに作りやサービスは5つ星だと思ったが、施設的にはやっぱり
 キューバなのであった。レストランと売店、それに理髪店があるだけ。これで
 はとても時間潰しは出来そうもない。仕方無くロビーの椅子を占拠して待つこ
 と2時間。それでもまだやむ気配はないが、少し小降りになってきたようだ。
 帰るなら今しかないと思い、またヒッチハイクをして帰ろうと標的探しを始め
 たが、いくら声をかけても相手にしてくれない。目の前の道路は目抜き通りと
 も言えるぐらいのやつだし、向かいには plaza hotel もあるが、全然ダメ。
 それでも懲りずに声をかけ巻くっているとひとりの若い男性が行ってくれそう
 な感じになった。でも、結局はダメだったのだが、彼は終始周りを気にしてい
 た。周りには結構警官の姿が見えるところを見ると、許可車でない車で観光客
 相手に商売しようとするのを見張っている感じがした。(これは勝手な想像。)
 さすがに今回はタクシーで帰ることにした。乗ってすぐに値段の交渉をすると、
 やっぱりUS$5〜7ぐらいだろうとのことだった。しょうがないと諦めたが、
 災難は続けて起こるものなのであった。

 朝来たように海底トンネルを利用すると10分もかからずに帰れるはずだが、
 その海底トンネルの入口まで来たところで渋滞が出来ていて、警官が迂回する
 ように指示していた。どうやら2時間以上も降り続いた集中豪雨と言えるほどの
 雨の為に水没してしまったらしい。運ちゃんがどうするという感じで振り向く
 が待っていてもいつ復旧するかわからなかったので、昨日バイクで走ったよう
 に、又ハバナ港をまわって帰るしかなかった。問題は運賃だ。いくらだろう?
 運ちゃんに聞いたら、US$11〜12ぐらいだろうとのこと。高くつくけど
 どうしようもなかったので、お願いすることにした。しかし、不幸は又続く。
 海底トンネルが不通になって迂回したのは何もこのタクシーだけではなかった
 のは言うまでもない。全部の車がそうしたのだから、道はひどく渋滞していた。
 昨日は暑い太陽に照らされながらバイクでパタパタと走った道を、今日は雨で
 水たまりと化した道を渋滞につかまってノロノロと走っていたのだった。その
 間も無情にもメーターはガンガンまわる。まだハバナ市街を出ていないという
 のに、既に7.00を表示していた。ここで、運ちゃんはメーターを止めて
 しまった。驚きつつも、感謝したのはいうまでもない。勿論、最終的にいくら
 請求されるのかは不安ではあったのだが...

 重たい空気がタクシーの中に充満してた時に、運ちゃんが新たな行動に。それ
 まで使えるとも思っていなかったラジオを付けてくれた。流れてくるのは今の
 状況とはかけ離れて超陽気なサルサ! 思わず乗せられてリズムを取ってしま
 うと、運ちゃんもハンドルで2ー3クラーベしていた。急に親しくなり、音楽
 の話しなどをスペイン語で試みる。勿論、ハバナで一番サルサを踊れる場所は
 どこかが知りたかった。そう、PANAMERICANA のディスコには飽きていたのだ。
 運ちゃんは、HOTEL RIVIERA の中にあるディスコが最高で、生バンドで踊れる
 と教えてくれた。(今思うと、スペイン語がよく理解できたと思う。)
 そうこうしているうちにようやく渋滞を抜けて、ホテルが近くなってきた。
 しばらく走ると運ちゃんはさっき止めたメーターを動かし始めた。そして、
 ホテルの前で止まったときには、そのメーターは11.75を表示していた。
 運ちゃんはUS$11.75を請求しただけだった。神業だぁ〜〜!!
 大いに驚きつつも、大いに彼に感謝したのは言うまでもない。

 既に夕食の時間は始まっていた。一度部屋に戻り、シャワーを浴びて着替える。
 部屋にラジオがあるのを思いだし、さっきタクシーの中で聞いた番組を探す。
 AM、FM、SWと聞くことが出来る結構良いラジオだったが、多分FMだろ
 うと山カケしてダイヤルをまわす。確か radio tahino と言うアナウンスが
 聞こえたはずだったので、それを頼りにしてチェックしていくと、附属のアン
 テナが折れていてほとんど使い物になっていなかった割りには多くの局が受信
 出来たことに驚いたが、1局だけ強力に受信できる局があったのでしばらく
 聞いていたら英語とスペイン語でアナウンスがあった。 radio tahino 周波数
 は、91.5MHzぐらいで、旅行者向け24時間放送の放送局のようだ。
 しかも、ハバナ以外にバラデロとサンチアゴにも送信所があるらしい。それ
 以来、ホテルの部屋ではラジオがなりっぱなしだったのは言うまでもない。

 夕食時間終了間際に食堂に飛び込んで食欲を満たした後は、また部屋に戻って
 熱い音楽を聞きながら、ハバナクラブを飲んでいると、いつもの顔ぶれからの
 お誘い電話があり、又今晩も退屈な DISCO PANAMERICANA の夜は耽けて
 行ったのであった。
                             8日目おしまい

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 9日目

 いつものごとく時間ぎりぎりに起きて朝食を食べているとツアーのうちの
 一人から声をかけられる。今日は、キューバに丸1日滞在できる最後の日。
 彼はこれからハバナに住む友人と会って、現地の人達が行くという市場に
 民芸品などのおみやげを買いに行くのだが、よければ一緒に行かないかとの
 ことだった。市場は昨日行ったカテドラルの近くにあるらしく、現地に着い
 たら別行動でも構わないということだった。二人ならばハバナまでの足代も
 半額で済むし、どうせ予定など特に何も決めていないのだから、即決した。

 朝食後一緒に乗せて行ってくれる車探しをした。やっぱりメキシコ人だって
 タクシーを使わない人もいるのだった。(でも、これってホントはいけない
 ことなのかな?)さすがにスペイン語が話せると交渉は至って簡単で、すぐ
 に足は確保出来た。料金もその友人の家に寄って彼を乗せてから、カテドラ
 ル近くまで連れて行ってくれて全部でUS$5で交渉が成立したらしい。
 (何故こんなにはっきりと理解できているかと言うと、声をかけてくれた彼
 は、英語が話せるのでお互いの意思疎通にはまったく問題がなかったのだ。)

 昨日は不通だった海底トンネルを通ってハバナ市街に行くのだと思っていたが、
 車はハバナ港をまわる道へと進む。その友人が住んでいるのが、その途中に
 あるのだった。しかし、海底トンネルよりもこの遠回りの道を利用する回数の
 方が多い観光客って結構珍しいのではないだろうかなどと思っていると、
 住宅街に入って車が止まった。彼が降りて友人を迎えに行った、が、なかなか
 帰ってこない。ようやく帰ってきたが彼一人。ん? 聞くと家に居ると昨日
 電話で約束したのに、約束の時間なのに不在だというのだ。その友人がいない
 と市場の場所はわからないのだが、いつ戻ってくるかわからないのに待って
 いるのはイヤだという結論に達して、二人でとりあえず予定通りにカテドラル
 まで行くことにした。今日は天気も良くて、昨日のあの水たまりだらけの渋滞
 の道を嘘の様に快適に進み、あっさりと到着してしまった。

 昨日と比べるとカテドラル前の広場にはおみやげ品などを売る屋台が沢山出て
 いた。これがその友人の言う市場では無いのだろうが、仕方無く見て歩いた。
 その内に彼の方は飽きてしまったらしく、そこで別行動をすることにした。
 結局そこではチェ・ゲバラTシャツ(US$7)、絵はがき4枚(US$1)、
 キューバ国旗のバッジ(US$1)を買った。本当はギロ、マラカスなどの
 楽器類も欲しかったのだが、嵩張ってブラつくのに邪魔になりそうだったた
 めに諦めたのであった。

 まだ時間も早かったのだが、昨日来て気に入ってしまった EL FLORIDITA
 に今日は午前中から潜入。今日はカウンターの中央に陣取った。注文は同じく
 パパ・ヘミングウェイだ。他の客の注文するカクテル作りをじっくり観察。
 その時気になったのは、「ハバナクラブ・リキュール」というボトル。
 しかも、何種類かあるダイキリを作るときには必ず数滴づつ入れている。
 あまり真剣に見ていたからか、チーフバーテンダーの様な人がそのボトルを
 目の前に持ってきてくれた。それはなんとチェリーリキュールだった。
 更に、バナナやパイナップルのリキュールもあり、バナナダイキリや、
 パイナップルダイキリを作る時に使うのだそうだ。もちろん、いずれも
 「ハバナクラブ」というところが、なんだか妙に不思議でもあるのだが。
 しかし、パイナップルのリキュールかぁ。気になって仕方がない。余りに
 気になったので、頼んでオンザロックにして出してもらった。こんなのを
 注文する客っているのだろうか? でも、予想以上に口当りが良く、旨い!
 しかも、凄く良い香りがする。とても気に入ってしまったが、どうすれば
 これを見つけることができるのだろうか? と考えながら、パパ・ヘミング
 ウェイをもう一杯注文。昼前だというのに、結構アルコールが入ったなぁ。

 結局今日は2時間近くも粘って EL FLORIDITA と満喫して、店を出た。
 まだ太陽は高く、街は暑い。ホントに何も考えていないので、バイクで来た
 時に見つけた、鉄道駅やホセ・マルティの生家の方に行ってみようと市街を
 南下した。そして、狭い住宅街の中を歩きながら、駅や生家を見て、また
 違う道で北上した。途中で住人のおばちゃんから、また「おしん」の話しを
 聞かされた。どうやら本当にキューバでは流行っているらしい。不思議だなぁ。

 フエルサ要塞脇を抜けて川沿いの道に出る。ここから海底トンネルの入口を
 過ぎて街の外れのプンタ要塞まではずっと公園のようになっている。しかし、
 そこには沢山の警察と軍人が何10台ものトラックやバスの中にいた。ん?
 一体何が始まるんだぁ?とよっぱらいながらも考えてみたが全然わからない。
 あとで、夕食を食べながらツアーの仲間と話しをして知ったのだが、実は
 今日8月13日は、フィデル・カストロの誕生日であり、それを祝して国を
 あげてのお祝いの準備をしていたところであったらしい。(式場自体は、
 ハバナ近郊の海岸で行われる予定となっていたらしいのだが、夕方からまた
 降り出した雨の為に中止になってしまったのである。)

 懲りもしない日本人貧乏観光客は、今度は昨日の失敗を踏まえて、海底トン
 ネルの入口でヒッチハイクを試みることにしたのであった。 (*^o^*)//
 ここを通る車ならば必ず海底トンネルを利用するのだから、完璧だと思った。
 しかし、実際には結構な速度で動いている車がそう簡単に止まってくれる
 訳ではないのだった。やっぱりよっぱらいの頭の回転はその程度のものらしい。
 でも、しばらく頑張って通る車全てに手を振っていたら小さい子供を連れた
 家族連れの新車に近いように見える車が止まってくれた。ラッキー!!
 まだ時間が早かったので、トンネルの向こう側の岡の上にあるモロ要塞を
 見学しようと思っていたので、バイクの時に止められた料金所の様な所で、
 降ろしてもらった。1分も乗っていないのだからと思ったが、降りる瞬間に
 しっかりと「ワンダラー」とその時だけ英語で請求された。やるなぁ〜〜!

 そこから、歩いてモロ要塞へと向かったのはいいが、近くに見えていたはずの
 要塞が実は結構遠かったのだ。クソ暑い中を歩いて到着し、一通り見てまた
 幹線道路である海底トンネルの出口まで戻ってきた。ふぅぅぅ。暑い。
 さて、最後のヒッチハイクに挑戦。しかし、これが全然駄目。高速道路の様な
 片側3車線の道なので、どの車もすごいスピードで飛ばしていて、止まってく
 れる気配など全然ない。半分諦め気味で、ホテルまでの道のり(多分5km
 ぐらい)を歩いて帰るつもりで歩き出した。それでも、車がそばを通る度に
 手を振ることをやめなかったが、これが結果的には大正解だった。1台の
 サイドカー付きバイクが止まってくれた。既にサイドカーには、若い女性と
 少女が乗っていた。多分運転手の娘なのだろう。こんなところを歩いている
 観光客だから想像が付いたのか向こうから、「 HOTEL PANAMERICANA に行く
 のか?」と聞いてきてくれた。「そうだ」と言うと同時にサドルを少し開けて
 くれたので、すぐに跨った。それにしても、100km/hぐらいで流す
 車の中をサイドカーが付いているとは言え、4人乗りのバイク。なかなかの
 体験でした。ホテルの前で降ろしてくれたが、また請求されるかなぁと思って
 いたら、にっこりと笑ってそのまま行ってしまった。ありがとぉ〜〜!!

 部屋に帰らずにそのまま真っ直ぐ向かいの売店へ。昨日の夜に聞いた話しでは、
 ここで「ハバナクラブ25年」を売っているという話しだ。おぉっ、あった。
 しかも、US$140とは、昨日の怪しい casa de RON よりも安い。これは
 買うしかないと、3本しか置いてないうちの1本を掴んでレジへ。でも現金で
 払いたくなかったので、クレジットカードで出したから話しが超面倒臭くなっ
 たのだった。ここのホテルではクレジットカードが確認できないらしく、
 別のホテルに連絡して、そのホテルが日本のカード会社に電話して確認が取れ
 ればOKとなるシステムだった。(アメリカが発行するカードは使えません。
 念のため。)その確認にかなり時間がかかるので、1時間ぐらいしたら戻って
 来てくれと言われた。それではと、部屋に戻って着替え、プールでしばらく
 泳ぐことにした。

 ちょうど1時間程経った頃にプールから上がると雲行きが怪しい。などと思っ
 ていると、またやられた。そう、このまえのハバナ市街の時と同じ状況だ。
 どうやらここでは、一瞬にして天候が変わってしまうらしい。とにかく又もや
 土砂降りだ。いくらプールにいて、水着だとはいえかなわない。大体太陽が
 無くなって、これだけぬれると流石に結構寒いのだった。慌てて部屋に戻って、
 身体を乾かして着替えを済ませてから売店に向かった。しかし、状況は変わっ
 てはいなかった。いや、余計に悪くなる方向にあった。というのは、使用しよ
 うとしたカードがJ*Bだったのだが、このカードを扱ったことが無いらしく
 なかなか確認出来ないらしいのだ。それで、もう1時間経ったら来いと言うの
 で、一度部屋に戻って出直したが、結果は同じだった。流石にこちらが諦めて
 今度は部屋からVI*Aカードを持って行った。これならば一般的なハズだ。
 (ちなみに私のこのカードは日本の銀行が発行のものなので、キューバでも
  利用できるのだった。偶然とは言えラッキーだった。)
 そのカードを見せたら、店員は安心したようだった。勿論、アメリカ発行で無い
 ということを確認したのは言うまでもない。今度は旨く行きそうだなと思い、
 ちょっと安心して店内を見ていたら、あれぇ? これはっ!! もしかして!
 やっぱりそうだ、「ハバナクラブのリキュール」があった。しかも、3種類も。
 そこで慌ててレジに走って、これを追加してくれっと頼んだ。また手間がかか
 るので嫌がられるかなぁと思ったが、逆に嬉しそうにしてくれたので良かった。
 しかも、その後でリキュールの値段を知ったのだが、US$5もしないのだ。
 勿論、750ccのボトル1本の値段がだ。これは安い!!

 そんなこんなで、結局3時間もかかった買物も最終的には欲しかったものを
 ちゃんと入手することが出来て無事に終了した。これで後はキューバの最後の
 夜を思いっきり遊んで満喫するだけだった。

 夕食時に、各国(チリ、ブラジル、インドネシア等)から練習の為に来ている
 スポーツ選手の為の合宿打ち上げパーティーが夜にプールサイドで行われると
 聞いたのでは、いつもの夜遊びのメンバーで行ってみることになった。選手達
 が合宿から開放感からか至るところで盛り上がっているのだが、国ごと、種目
 ごとの集団になって個々に盛り上がっているようで、我々が便乗するチャンス
 はあまりなかったのだが、それでも我々も最後のキューバの夜ということで、
 その場を借りて、飲んだり踊ったりしていたのだが、夕方からの雨が一度は
 やんだのだが、又降り出してしまったためにパーティーは開店休業の状態で、
 参加者達のほとんどは我々の遊び場であったディスコに流れ込んでしまった。
 そのために、混み過ぎていて入場制限などを行ったために、出遅れた我々は
 入ることが出来ないまま、入口で待ち続けて時間だけが過ぎていった。

 最後に夜にこのままでは詰まらないと思って、昨日タクシーの運ちゃんに
 教えてもらったホテルリビエラのディスコに行こうと提案したのだが、誰も
 同意してくれなかった。(メキシコ人って意外と保守的なのかな?)
 一人で行くのもつまらないとは思ったのだが、そのままいつ入場できるかも
 わからないし、しかも入ってもまたあの音楽で踊るのかと思うと、やっぱり
 キューバに来たのだから、地元人お勧めのサルサの生バンドで踊れるという
 店に行きたくてしょうがなかったので、タクシーを拾って単独行動を取った。

 夜も2時近くになるとさすがに道は空いていて、新市街のホテルリビエラ
 まではすぐだった。しかし、そのホテルは道路をはさんで海に面している
 ためかは知らないが、その海沿いには夜中とは思えないほどの人達がいた。
 と、そんなことを横目で見ながらも、到着と同時にディスコへダッシュ!
 中へはすぐに入れて、丁度バンドが演奏中だった。確かにサルサしてる。
 やっぱりこれだよね、これ。キューバに来ても、アメリカンポップスや
 ユーロビートっていうのは無いよねぇと一人満足しつつ、一直線にステージ
 下の派手に盛り上がって踊っている集団の中へと入り込んで行ったので
 あった。それから、一人で踊ること2時間。何と4時でその店はおしまい。
 満足しつつも、今ひとつ物足りなさも感じる複雑な気持ちで、またタクシー
 を拾ってホテルに戻った。この運ちゃんとも仲良くなって、今日のフィデル
 の誕生日だったことを話していたら、盛り上がってしまって、何と彼は
 自分の財布から1枚のコインを出して、くれたのだった。それはチェ・
 ゲバラの肖像が入ったキューバ共和国の3ペソコインだった。紙幣はおろか、
 25セント硬貨までもアメリカの物が流通している中で、キューバ自国の
 しかもあのチェのコインを最後の最後に手に入れられたなんて、とても
 感激してしまった。
                             9日目おしまい





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