横浜・大船 込江保次税理士事務所

総天然色旅行記
1〜3日目
4〜6日目
7〜9日目
10〜12日目
13〜15日目
16〜17日目
写真集 NEW!
Frente Pinguinista

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ/その5

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 13日目

 今日は、メキシコシティ観光2日目。\\(;^◇^;)//
 朝起きてホテル近くの屋台で腹こなしを終えるとそのままに、メトロを
 乗り継いで CHAPULTEPEC 公園へ。広い、広い、とにかく広い。そして、
 平日の朝だというのに、凄い人。それも、家族連れが多いみたいだった。
 大きな池や動物園、それに博物館などがあるので、さながら上野公園。
 ただひとつ違うのは、丘の上にまさにそびえるという感じの城。17世紀
 から建て始められたものらしいが、その豪華さは凄い!!

 と、完全におノボリさん状態のままに、お目当ての人類博物館へと向った。
 ここへたどり着くのも結構歩いたならば、この博物館自体も超デカイ。
 入口を抜けると、中央に大きな噴水がある、コの字型をした総2階建て。
 人はまばら、と言うよりも、建物が大きくて人がいないように見えるだけ。
 とにかく大きいのだが、眺めていても始まらないので、とにかく歩き始める
 ことにした。説明のスペイン語は勿論全然わからないのだが、昨日行ってきた
 ティオティワカンなど何も予備知識が無く、見ているだけでもすげぇ〜と
 うなってしまうような展示も多く、本人は軽くひと周りしてきただけの
 つもりだったが、既に遥かに昼を過ぎていた。

 まだ見学していたい気もしたが、またすぐに来る機会があるだろうと思い、
 いや単に空腹に負けただけかも知れないが、^^ゞ 今日の見学がおしまいと
 して、次なる目的地 ZONA ROSA へと向ったのだった。この街は、全然メキ
 シコにいるという感じがしない。まるで、東京かニューヨークでも歩いて
 いるみたいな感じで、何となく落ちつかない気がしたので、そのまま通過
 してソカロ方面へと歩いてみることにした。途中の屋台で匂いに誘われる
 たびに、何かを買っては食べながら歩いていたので、1時間ぐらい歩いたの
 だろうが、満腹だった。 \\(;^◇^;)//

 シウダデラ公園、楽器屋街などをうろついて、買い出し品の下見などをし
 つつ、結局ソカロの近くまで歩いて帰ってきてしまった時には、もう夕方と
 言える時間だった。昨日買った割箸を取りにホテルへと戻り、既に混雑し
 始めたメトロで、南下して待合せの場所の TASQUEN~A の駅に着いたのは、
 約束の7時ちょっと前だった。ここには、南方面へのバスターミナルがある
 ので、凄い人だ。それに、メトロも立て続けに到着して、まるでラッシュの
 新宿駅の様だった。こんなところで、うまく待合せが出来るのだろうかと
 不安になっていた時に、ホルヘ達の姿が見えた。で、でも、A嬢はまだ...
 7時を結構過ぎた頃に、遠くの上の方からデカイ声がしたので、振り返ると
 彼女がいた。おぉぉ、久しぶり!! 何だか、今日はエラク決めてるなぁ。
 とは思ったが、相変わらず「言葉の壁」が... ;_; それでも、何とか、
 お互いを紹介し合って、カルロス家にへと向うことにした。

 パーティじゃ。初めは、子供達とママで、コーラとポップコーンを飲み食い
 しながら語らっていた。そこで昨日一生懸命に探して手に入れた「割箸」を
 登場させて、まずは使い方の説明などをしつつも、最後にはポップコーンの
 出来損ないのつまみ合い大会となってしばらく盛り上がってしまった。

 とこんなことをしているうちに、カルロス家のパパが御帰宅。再会を喜び
 あっているところへ、もう一人のパパが到着。仕事から自分の家ではなくて、
 こちらに直行したとのこと。などと話していたら、もう一人のママが小さい
 弟を連れて到着。この辺りのタイミングはさすがに夫婦だなどと妙に納得
 してしまった。まさに示し合せていたかのようであった。

 パパ達が帰宅&到着してからしらばくは、先日と同様にテキーラを取り出して
 きての語らいとなり、いきなり大人のムードっぽくなった。さらには、何故か
 「澤の鶴」が登場。「まだ飲めるか?」と聞くいぶかしげなパパ達。聞いて
 みたらこれをもらって最初に飲んだのはもう2、3年も前だったらしい。
 試しに匂いをかいでみるとちょっと酸っぱいような気がする。それでも勇気を
 振り絞ってひと口飲んでみたが、ぎょえぇ〜〜! \\(;^酢^;)//

 実はすでに待合せの頃から腹が減っていたのだが、ようやく食事となった
 のは、すでに9時だった。総勢11名分の食事となるとさすがにその食器を
 並べるだけでも結構大騒ぎものだった。メニューは、サラダ、肉料理、スープ
 とトルティージャ。狼のごとく飢えていた私は食べに食べたが他の人達は余り
 食べていた様子は無い。そう、こちらでは昼食が1日の主な食事のようで、
 夕飯は日本人にとっては遅いと思われる時間に、軽目に食べるのであった。
 (この頃の私はまだ食生活は日本人していたのだが、その後帰国までの間に
  すっかり対応してしまい、帰国後も昼食を重目に取ることが多くなった。)

 食後は、またテキーラを飲んでいた時に、カルロスパパが1枚のCDを取り
 出してきて聞かせてくれた。1曲目はマリアッチとわかる曲だった。聞けば、
 メキシコの曲をオムニバスにしたCDとのことだ。確かにCDのジャケット
 には、 Clasicas Mexicanas と書いてある。でも、中には通常歌詞カードで
 あるはずのものが、何故か薬の「飲み方」や「効き目」などが書いてある。
 そういえば彼の職業は、 medical doctor だったっけ。などと推理している
 と、「これはプレゼントだよ」とのことだったので、ありがたくもらって
 しまった。(タダならば何でももらってしまう意地汚いヤツだった。(^_^;))

 A嬢が時間を気にして、どこかへ電話をかけた時、すでに11時過ぎていた。
 メトロの終電も近くなってきたし、先日の「恐いよっぱらい運転」も頭を
 よぎったので、お開きとすることにした。幸いなことに今日は飲んでいない
 カルロスJrが、愛車の黄色いフォルクスワーゲンで途中まで送ってくれる
 ことになった。ほっとひと安心。途中のメトロの駅で降ろしてもらい、ホント
 に終電間際のメトロでホテルへとたどり着いたのは今日も12時を過ぎていた。

                           13日目おしまい

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 14日目

 起きると既に昼が近かった。(^o^)//

 本日の唯一の目的は、Mac用のスペイン語ワープロソフトを探すことだった。
 単に日本やアメリカで買うよりも簡単に買えるだろうし、安いのではないかと
 安易に考えていたが、甘かった。

 まずは、楽器屋探しをしていたときに偶然に発見した「メキシコの秋葉原」と
 勝手に名付けた一帯へと向った。その場所は、ラテンアメリカタワーの通りを
 南へ行き、新しいメトロの路線の SAN JUAN DE LETRAN 駅の近くにあった。
 電子部品からコンピュータまでがホントに「小秋葉原」という雰囲気で軒を
 連ねており、ある種のヲタク的臭いが立ち込めていたのは本家と同じであった
 が、本家を一時は我が庭の様にしていた私にとっては、言葉が違えどそこは
 やっぱり「我が庭」なのだった。

 本能だけを頼りに、初めての者を拒否するかのような迷路のように入り組んだ
 通路に沿って、いろんな種類の店が並んでいるなかで「毒林檎」印を求めてた
 が、どの店もIBM物しか扱っていなかった。(メキシコでは、当然だが
 「イー・ベー・エメ」と発音するのが、最初は妙におかしかった私だった。)
 しかし、何件目かの店で、「この辺りには無いけど、ソナロサの辺りに行けば、
 「林檎屋」があると思うよ」という情報を得て、ソナロサへと向うことにした
 のだった。

 と言っても店の名前も住所も何もわからない。それでもとりあえずはメトロに
 乗った。ソナロサの大きな通りをひたすら歩き回ったがブティックやレストラ
 ンばかりが目に付きそれらしい店は全然見つからない。その時前から歩いて来
 る警官を発見し、聞いてみることにした。幸運な事に英語が通じる人だった♪
 そして更に幸運なことには、ソナロサ周辺の店のリストというものがあるから、
 それで探してみようということになり、一番近くのブティックに入って店の人
 に彼が何やら話しかけるとそれが出てきた。コンピュータで探すと、IBM、
 APPLEと見出しが、出ていて実に簡単に見つけることが出来た。この近く
 には3件あり、一番近くの店の場所を教えてもらったが、それでも全然違う
 場所にあった。いわゆるソナロサと言われている地域から、REFORMA 通りを
 渡った側にあったのだ。(それでは、見つけられるハズがない。)

 てくてくと歩いて行くと、おぉ!確かにあの7色の林檎印が見えた。早速店員
 に話しかけると、メキシコではまだまだMacの存在は超マイナーだとかで、
 調べるからちょっと待っててくれと言われて、何本かの電話でわかった事は、
 日本語版でも有名な2種類のワープロソフトのスペイン語版がどちらもUS$
 400で、即納出来ると言うことだった。流石に約4万円では買えないので、
 諦めてしまった。

 既に唯一の目的を達してしまったので、あとは歩き回るつもりでいた。
 まず、「林檎屋」に来る途中に発見した CITIBANK で現金の補給をしてから、
 折角来たソナロサを一通り見ようと思って歩き出したのは良いが、どうも落ち
 着かない。メキシコにいるという感じがしないのだ。日本かアメリカか、どこ
 か先進国のきれいな街中を歩いている気分だった。店の雰囲気も、ショーウィ
 ンドウの値札も、街を歩いている他の人達が着ている服も人種も何もかもが。

 そんなわけで、そのままソナロサを通り抜けて、メトロで来た道を歩いて
 帰ることにした。屋台でいろいろな物を買って食べ歩きながら、お気に入りの
 場所と化して来た、シウダデラ市場でみやげ物などを物色したり、HIDALGO 駅
 近くの店を覗きながら、アラメダ公園へと到着。やっぱり公園は落ち着く。
 起きてから歩き回っていたので疲れた足を休めながらも、目は辺りに沢山いる
 人達を忙しく眺めてマンウォチングしていたのだった。木曜の午後だったが、
 夏休みだからなのか親子連れの姿が目立っていた。観光客たちは輪を作ってス
 トリートパフォーマンスのギターの弾き語りやサーカスもどきな曲芸を見てい
 たり、日本でもおなじみな移動型簡易アクセサリー屋の商品を物色していた。

 すると突然黒い雲が出てきたかと思うと、また激しい雨が降ってきた。幸い
 傘は持っていたが、これだけ激しい雨だともう歩き回ろうという気力は失せる。
 まだ夕方という時間だったが、とりあえずホテルに退避することに決めた。
 途中の店で、しっかりとつまみとコーラを買って、少々時間が早いが、雨が
 やんで夕食に出られるようになるまでの間、キューバで買ってきた5年物の
 ハバナクラブでクーバリブレを作って宴会を決め込むことにした。

 そのまま寝込んでしまったらしく、空腹を感じて目が覚めたのは夜の10時
 近かった。雨もやんだようで、ホテルの近くの店でN$10の定食を食べて
 から、マリアッチで有名なガリバルディ広場まで散歩してみることにした。
 いくつものグループがマリアッチを演奏していて、それを聞いている人達も
 大勢いた。勿論、広場を囲んでいくつものライブハウス(?)があり、そこへ
 入って行く人達はもっと大勢だったが。

 まだ夕方の酒が残っていたのに、更に夕食の時に飲んでいたので、フラフラと
 実に良い気分で演奏を聞きまわりながら、広場を中心にうろうろしていると、
 壁に貼ってあるライブのポスターが目に付いた。「コパカバーナ」という店で
 「サルサバンド」のライブがあるらしい。日にちは今日、8月18日。こんな
 ポスターが貼ってあるぐらいだから、絶対にこの近くだろうと探し回ってみた
 が、全然それらしい店を発見できず、何人か聞いてもみたが誰も知らなかった。
 今日は1日探し回ってばかりいたので、いい加減に飽きてしまって、結局諦め
 てホテルへと戻ってしまった。それにしても、うぅ〜ん、「コパカバーナ」
 って一体どこにあったのだろう?
                           14日目おしまい

愛しのクーバ・ハマりのメヒコ 15日目

 今日は買い出しの日と前から決めていた。というのも、明後日日曜の早朝の
 便で帰るのだが、その日はメキシコ大統領選挙の日でもあり、その前日の
 土曜日となる明日は、何がどうなるのか予想も付かなかったからであった。

 いつもよりは少し早く9時過ぎに起き出して、まず楽器屋街へ向った。今まで
 と違う道を行くと、新しい楽器屋を何件か発見し、その度に覗き込む。ギター
 やキーボードは置いてあるが、コンガやボンゴを扱っている店は多くない。
 でも、とうとうボンゴがN$160と今までで一番安い店を見つけた。しかし、
 手持ちの現金はN$170ちょっと。クレジットカードで支払うならば、別に
 6%の手数料が必要だという。まぁ近くにATMがあるだろうとその時は気楽
 に考えて現金でついにボンゴを手に入れた。そのままでは持ち運ぶことも出来
 なかったので、適当なダンボール箱に入れてもらい、調整用の工具もおまけに
 付けてもらった。

 空腹も感じずに大きな箱を抱えたまま、いつものシウダデラ市場へと向った。
 そう、ここで今までチェックを入れておいた、民族織りのバッグを買って、
 それをボンゴ用に使おうとしたのだった。が、相変わらずATMが見つから
 ない。市場でクレジットカードで支払おうなどという考えははなっから持って
 いなかったので、ひたすらATMを探すべく市場を通り過ごして、さまよい
 結局、HIDARGO の交差点まで行ってしまった。そこでやっと CITIBANK の
 キャッシュカードが利用できるATMを発見して現金を入手し、今来た道を
 市場まで戻ったのだった。

 ようやくバッグとお揃いの織りのベストを購入し、その場で作業開始! (^^ゞ
 持っていたアーミーナイフで、ダンボール箱を切り、ボンゴを囲うようにして
 ピッタリとバッグに納められた時には、店番の美しき sen~orita が拍手して
 くれた。(日本人って手先の器用な民族だと思ったんだろうなぁ〜〜)

 段々と荷物が重く感じられてきたので、一度荷物を置いて出直そうと思い、
 ホテルまで歩いて帰って来たのだった。我ながら呆れるほどによく歩いている
 が、この時点でまだ今日は何も食べていないことに気が付いたのだった。

 まだベッドメイクも済んでいない部屋に買ってきたばかりのボンゴとベストを
 置いて、本日初の食事に出た。ホテルからほど近いメトロの ALLENDE 駅周辺
 は、石畳の歩行者天国となった道路があり、その両側にはタコスやトルタ、
 フレッシュジュースなどの店がたくさんあるのだった。

 満腹になったところで、またホテルに戻ってきてA嬢に電話することにした。
 明日はメキシコでの最後の夜なので、踊りに行こうとのお誘いの電話を♪
 今日は根性で通訳無しでの直接交渉だったが、何とかこちらの考えが通じた
 ようで、OKの返事! ヤッタ〜〜!!

 ソカロの目の前、というかほとんどソカロの一角にあるとも言えるホテルに
 何泊も滞在しているというのに、この辺りの見学はしていなかったので、
 まだ夕方の早い時間であったこともあり、ソカロ周辺を散歩がてらに観光客と
 なろうなどと思って、部屋にカメラを取りにもどろうとした時に、フロントの
 隣りのホテルの従業員関係者のプライベートな場所となっているところに置い
 てあるテレビに子供達が見入っている姿が見えた。(このホテルは、各階共に
 部屋が廻り廊下の様に位置してあり、中央部分はフロントから建物の最上階
 までが大きな吹抜けとなっているので、部屋のドアのところから丁度下にある
 テレビが良く見えるのだ。)

 そのテレビが映していたのは間違いなく、あの懐かしい「マジンガーZ」!!
 おぉっ、兜コウジ(漢字がわからない(^^ゞ )にアシュラ男爵もちゃんといる。
 勿論スペイン語の吹替えだったのだが、文字どおりに身を乗り出して、最後まで
 見てしまった。\\(*^O^*)// エンディングの歌は日本語のままだったの
 で、とっても納得してしまった。キューバのおしんと言い、日本のテレビ文化
 は世界を制覇している感があるなぁ〜〜、などと妙に感心してしまった。

 気分を超良くして、ようやく外出。手始めにホントにすぐ隣りにあるカテドラル
 へと入ってみた。ソカロに面した入口前には雑誌とかカセットテープなどを
 売っている屋台(?)が沢山あり、今はカメラを手に持っての正しい観光客の
 姿をしているので、そこいら中から声がかけられた。中へと入ってみると、
 おぉっ!バロック風という作りの実に大きく、立派な作りだった。ふんだんに
 金も使われているし、絵画や彫刻もある。内部は大規模な工事中だったにも
 係わらず、観光客や地元の敬虔な信者達が沢山いた。(知識が無いので、どう
 説明して良いかわからないのです。許してください。m(_ _)m )

 カテドラルをまわって、何やら「ただ今発掘中」という雰囲気の実に大きな
 遺跡のようなものの前に出た。後で知ったことだが、テンプロ・マヨールと
 いうアステカ帝国の中央神殿だそうだ。道理で大きかったわけだ。それにし
 ても、ソカロと言えばメキシコの旧市街の中心地な訳でだし、やっぱり、
 街の中心となる場所というのは時代に係わらず自然と決ってしまうものなの
 だろうか?

 さらにカテドラルの周囲をまわってソカロへと戻ってきた。そのまん中には
 有名な巨大と言うしかないメキシコ国旗が掲揚されているのだが、その周囲は
 明後日の大統領選挙のために大勢の人達が自分達の支持政党のプラカードなど
 を掲げたテントやビニールシートを張って、混沌としていた。もう既に何日も
 前からこの場所で泊り込みをしているという雰囲気の人達も大勢いて、投票の
 後はこの国はどうなってしまうのか、ホントに誰にもわからないという感じに
 させられるようでもあったが、良い悪いは別にしても日本でこれほどまでに
 国民が強い感心を持つような選挙が今後行われることがあるのだろうか?と
 フト考えさせられてしまうほどであった。

 カテドラルのまわりを一周しただけしか歩いていないのだったが、いつの間に
 やら陽が傾き始めていて、やはりソカロに面している国営の質店の壁を夕日が
 強く照らしていた。(一瞬だけ文学的だったりする)

 時計を見ると7時を過ぎていた。出かけなければ。

 再度ホテルに引き返し、カメラを置いて身軽になり部屋を出た。そう、今晩は
 アレナ・メヒコで「ルチャリブレ」のある日だった。\\(;^◇^;)//
 火曜日のルチャはホテルからすぐそばだったのだが、アレナ・メヒコは昼間に
 ボンゴ用のバッグとベストを買ったシウダデラ市場の最寄り駅のバルデラスの
 近くだった。普通ならばメトロで行くのだろうが、夕方のラッシュの時間でも
 あったし、まだ始まるまでも時間があったので、「ティエンポ・リブレ」を
 片手にブラブラと歩いて行くことにした。実はこの「ティエンポ・リブレ」は
 ルチャ観戦の時の秘密兵器なのだった。昼間は暑いメキシコも、夜は8月だと
 いうのに皮のコートやマフラー姿の人達も見られるほど寒いのだ。そして、ア
 レナの安い料金の席は階上の自由席で、単に石やコンクリートの階段になって
 いるだけなので、お尻がとても冷たい。だから、雑誌を引くのだった!!

 まだ歩いたことが無い道を通ってアレナまで行ったが、途中でいくつもの選挙に
 関連しているらしい集団を見かけた。しかし、アレナのすぐそばまで来ると、
 そこはやはり「ルチャ・リブレ」一色だった。まだ多少時間があったので、
 タコスの屋台で軽く食べたが、やはり何と言ってもこの周辺での一番魅力的な
 屋台と言えば、あの「マスカラ」を売っている屋台だろう。前回もしばらく
 その前に座り込んで眺めていたが(日本のお祭の時のお面のようにして、木の
 枠にかけられても売られているのだが、地面に置いてあるものもあり、それ
 だと簡単に被ったりすることも出来るので)、結局買わなかったが、今回は
 3枚のマスカラスを買ってしまった。(1枚がN$10ぐらいだったと思う)

 食うものを食い、買うものを買ったので、入場券(N$10)を買って中に
 入った。もうすぐで開始という時間だったので、リングサイドなど1階席は
 ほぼ満席状態であったが、さすがに一番安い席ではまだ全然観客はいなかった。
 それでも会場全体は、火曜日のアレナ・コリセオよりもすでに盛り上がって
 いたし、又、会場自体も大きく、リングの上に四方に向けて大きなテレビ画面
 も設置されていたので、観戦しやすかった。

 12時前に終了し、アレナの外に出ると雨がパラパラと降っていた。こんな
 時には傘代りにもなる実に便利な「ティエンポ・リブレ」だった!! (*^o^*)
 流石に帰りはメトロで帰った。終電間近だというのに結構混んでいたのには、
 ちょっと驚いてしまったが。メキシコでも金曜日は「花金」なのだろうか?

                           15日目おしまい





このサイトについて | 連絡先
Copyright © 2001-2002 KOMIE Yasuji. All Rights Reserved.